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本
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
満川 亀太郎(ミツカワ カメタロウ)
1888年、大阪生まれ。早稲田大学中退。『民声新聞』、『海国日報』、『大日本』の主筆を経て、1918年、老壮会を結成。翌1919年8月、大川周明と国家改造運動の実践団体猶存社(ゆうぞんしゃ)を設立し、北一輝を上海から迎える(満川・大川・北は猶存社の「三位一体」「三尊」と称された)。猶存社解散(1923年)後、行地社(ぎょうちしゃ)の設立(1925年)に参加。1927年、一新社を設立、さらに1930年、興亜学塾を創立。1933年4月、拓殖大学教授就任。1936年5月12日、脳溢血のため逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 満川 亀太郎(ミツカワ カメタロウ)
1888年、大阪生まれ。早稲田大学中退。『民声新聞』、『海国日報』、『大日本』の主筆を経て、1918年、老壮会を結成。翌1919年8月、大川周明と国家改造運動の実践団体猶存社(ゆうぞんしゃ)を設立し、北一輝を上海から迎える(満川・大川・北は猶存社の「三位一体」「三尊」と称された)。猶存社解散(1923年)後、行地社(ぎょうちしゃ)の設立(1925年)に参加。1927年、一新社を設立、さらに1930年、興亜学塾を創立。1933年4月、拓殖大学教授就任。1936年5月12日、脳溢血のため逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:第1編 亜細亜解放運動;第2編 大英世界政策;第3編 南方亜細亜;第4編 印度問題;第5編 近東及中東;第6編 日米問題;第7編 阿弗利加;第8編 亜細亜雑篇
もくじ情報:第1編 亜細亜解放運動;第2編 大英世界政策;第3編 南方亜細亜;第4編 印度問題;第5編 近東及中東;第6編 日米問題;第7編 阿弗利加;第8編 亜細亜雑篇