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内容紹介・もくじなど
文学賞情報:2010年15回日仏翻訳文学賞受賞
喪失の世界を生き延びるために―パリ、京都、東京、神戸。これら四都市をめぐり、三人の日本人―小林一茶、夏目漱石、写真家山端庸介の人生に寄り添いつつ、喪失・記憶・創作について真摯に綴った“私”小説。 文学賞情報:2010年15回日仏翻訳文学賞受賞
喪失の世界を生き延びるために―パリ、京都、東京、神戸。これら四都市をめぐり、三人の日本人―小林一茶、夏目漱石、写真家山端庸介の人生に寄り添いつつ、喪失・記憶・創作について真摯に綴った“私”小説。 著者プロフィール
フォレスト,フィリップ(フォレスト,フィリップ)
1962年パリ生まれ。パリ政治学院卒。文学博士。現在、ナント大学文学部教授、比較文学の教鞭をとる。シュルレアリスムやテル・ケルについて、また大江健三郎をはじめ日本文学についての卓越した批評家でもある。自伝や私小説などに関しても独創的で鋭い考察を重ねている。小説第一作『永遠の子ども』(邦訳、集英社)ではフェミナ賞処女作賞、また『さりながら』(邦訳、白水社)では12月賞を受賞している フォレスト,フィリップ(フォレスト,フィリップ)
1962年パリ生まれ。パリ政治学院卒。文学博士。現在、ナント大学文学部教授、比較文学の教鞭をとる。シュルレアリスムやテル・ケルについて、また大江健三郎をはじめ日本文学についての卓越した批評家でもある。自伝や私小説などに関しても独創的で鋭い考察を重ねている。小説第一作『永遠の子ども』(邦訳、集英社)ではフェミナ賞処女作賞、また『さりながら』(邦訳、白水社)では12月賞を受賞している |
本書のタイトルは、小林一茶の有名な句からとられている――「露の世は 露の世ながら さりながら(この世は露のように儚く、虚しい。そうではあるのだが……)」
幼い娘を小児癌で喪った〈私〉は、忘却と記憶の間を彷徨うようにパリ・京都・東京・神戸を旅する。本書は、これら四都市を巡る短い章に挟まれ、〈私〉が深い共感を覚える三名の日本人の肖像(それぞれ三十一の断章形式)が展開される、エッセーと小説の間をたゆたうような不思議な魅力を湛えた作品である。俳人一茶、作家漱石、そして原爆投下翌日の長崎に赴き現地の惨状を記録した写真家山端庸介――彼らの物語に通底するのは子どもの…(続く)
本書のタイトルは、小林一茶の有名な句からとられている――「露の世は 露の世ながら さりながら(この世は露のように儚く、虚しい。そうではあるのだが……)」
幼い娘を小児癌で喪った〈私〉は、忘却と記憶の間を彷徨うようにパリ・京都・東京・神戸を旅する。本書は、これら四都市を巡る短い章に挟まれ、〈私〉が深い共感を覚える三名の日本人の肖像(それぞれ三十一の断章形式)が展開される、エッセーと小説の間をたゆたうような不思議な魅力を湛えた作品である。俳人一茶、作家漱石、そして原爆投下翌日の長崎に赴き現地の惨状を記録した写真家山端庸介――彼らの物語に通底するのは子どもの死を悼む風景だが(一茶と漱石はともにわが子を亡くし、山端は数え切れないほどの子どもたちの死を目撃している)、また同時に、死と狂気の狭間を生き延びる芸術家たちの生が活写されている。
愛する対象を喪ってなお、人はどう生きながらえることができるのか? これら三人の人生に寄り添いながら、夢を漂うような穏やかで流麗な文章のなかで、〈私〉はこの苛烈で不可能な問いを反復しつづける。