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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
コルビー,ウィリアム・H.(コルビー,ウィリアムH.)
1955年生まれ。1977年ノックス・カレッジ卒業後、1982年カンザス大学で法務博士を取得する。アメリカ最高裁で初めて審理された「死ぬ権利」訴訟において、ナンシー・クルーザン一家の代理人を務めた弁護士である。「フロントライン」、「トゥデイ」、「CBSディス・モーニング」、「グッド・モーニング・アメリカ」など、数多くの全米ネットワークのテレビ番組に出演。「Patient Self‐Determination Act(患者自己決定法)」として最終的に成立した連邦法の法制化に大きく貢献した コルビー,ウィリアム・H.(コルビー,ウィリアムH.)
1955年生まれ。1977年ノックス・カレッジ卒業後、1982年カンザス大学で法務博士を取得する。アメリカ最高裁で初めて審理された「死ぬ権利」訴訟において、ナンシー・クルーザン一家の代理人を務めた弁護士である。「フロントライン」、「トゥデイ」、「CBSディス・モーニング」、「グッド・モーニング・アメリカ」など、数多くの全米ネットワークのテレビ番組に出演。「Patient Self‐Determination Act(患者自己決定法)」として最終的に成立した連邦法の法制化に大きく貢献した |
もくじ情報:第1部(テリー・シャイボの人生―一九六三年十二月から二〇〇〇年一月まで;公になったテリー・シャイボの人生―二〇〇〇年一月から二〇〇五年三月三十一日まで;テリー・シャイボの死体解剖);第2部(医療技術の進歩;死に関する法律と権利;ナンシー・クルーザン訴訟;今日のアメリカで、私たちはどう死ねばよいのだろうか?;「施設のグライドパス」に従って死ぬ;テリー・シャイボの立場;私の「リビング・ウィル」;栄養チューブ―最大の難問;…(続く)
もくじ情報:第1部(テリー・シャイボの人生―一九六三年十二月から二〇〇〇年一月まで;公になったテリー・シャイボの人生―二〇〇〇年一月から二〇〇五年三月三十一日まで;テリー・シャイボの死体解剖);第2部(医療技術の進歩;死に関する法律と権利;ナンシー・クルーザン訴訟;今日のアメリカで、私たちはどう死ねばよいのだろうか?;「施設のグライドパス」に従って死ぬ;テリー・シャイボの立場;私の「リビング・ウィル」;栄養チューブ―最大の難問;それでも私は生きる権利を信ずる;身障者の社会が抱く特別な懸念;オレゴン州対アシュクロフト(ゴンザレス)、そして医師の自殺幇助;ホスピス:隠れた宝石;私たちはここからどこへ行くのか?)