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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
ブォナローティ,フィリップ(ブォナローティ,フィリップ)
1761年イタリア・ピサ生まれ、1837年パリで没。洗礼時のフルネームはフィリッポ・ジュゼッペ・マリーア・ロドヴィーコ・ブォナローティFilippo Giuseppe Maria Lodovico Buonarrotiであった。フランス革命勃発後にコルシカ島で親仏派の革命運動に参加。1793年5月にフランスに帰化。93年4月にはパリに赴き、ロベスピエールとも接触。オネーリアを統治する革命委員として当地で社会変革に、またイタリア民族統一に向けた拠点形成に努力。恐怖政治家と訴えられてパリに召喚、収監されたル・プレシ監獄でバブーフらと結びつき…( ) ブォナローティ,フィリップ(ブォナローティ,フィリップ)
1761年イタリア・ピサ生まれ、1837年パリで没。洗礼時のフルネームはフィリッポ・ジュゼッペ・マリーア・ロドヴィーコ・ブォナローティFilippo Giuseppe Maria Lodovico Buonarrotiであった。フランス革命勃発後にコルシカ島で親仏派の革命運動に参加。1793年5月にフランスに帰化。93年4月にはパリに赴き、ロベスピエールとも接触。オネーリアを統治する革命委員として当地で社会変革に、またイタリア民族統一に向けた拠点形成に努力。恐怖政治家と訴えられてパリに召喚、収監されたル・プレシ監獄でバブーフらと結びつき、釈放後、パンテオン・クラブの設立に参加。「バブーフの陰謀」指導部(秘密総裁府)のひとりとして逮捕、ヴァンドーム裁判で流刑宣告。しかし、「殺人的風土」の地への流刑は免れ、97年から1801年までペレ島、オレロン島に、1806年からはジュネーヴに移り、カルボナリ党の活動への参加、フリーメーソン支部の結成など、秘密結社活動を続行。23年にはスイスから追放され、24年からブリュッセルに。30年7月革命の報せにパリに戻り、ブランキ、ルイ・ブランなど、またイタリア統一運動(リソルジメント)の指導者マッツィーニへの助言者 |
もくじ情報:革命の諸局面―テルミドールまで;平等擁護派―“パンテオン・クラブ”の創設と解散;秘密総裁府―設置とその組織;蜂起に向けて―警察隊の叛乱、そして山岳派との提携;蜂起直前―情勢判…(続く)
もくじ情報:革命の諸局面―テルミドールまで;平等擁護派―“パンテオン・クラブ”の創設と解散;秘密総裁府―設置とその組織;蜂起に向けて―警察隊の叛乱、そして山岳派との提携;蜂起直前―情勢判断と戦術会議;平等者の共和国―財産・労働共同体と人民主権;市民の共和主義的紐帯と統治機構;教育―新しい社会道徳の涵養;蜂起後の施策。しかし密告による挫折;ヴァンドーム高等法廷;証拠書類篇;補足資料