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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
工藤 直子(クドウ ナオコ)
1935(昭和10)年、11月2日台湾に生まれる。六人きょうだいの末っ子。37年、母親が逝去し、父や姉たちの家を転々とする。41年、国民学校に入学。流行歌が好きな少女時代。敗戦で46年、台湾から引き揚げる。48年、中学に入学しスポーツに熱中。詩を書き始める。お茶の水女子大学を卒業後、59年、博報堂にコピーライターとして入社。言葉の添削癖がつく。62年、父親が逝去し、書き溜めた詩を整理して自家版詩集『工藤直子詩集1962年』を作り、友人などに売り歩く。63年、フリーでコピーライターをしながら、ブラジルやフランスに2年間ほど滞在。82年、『てつがくのライオン』を刊行、…( ) 工藤 直子(クドウ ナオコ)
1935(昭和10)年、11月2日台湾に生まれる。六人きょうだいの末っ子。37年、母親が逝去し、父や姉たちの家を転々とする。41年、国民学校に入学。流行歌が好きな少女時代。敗戦で46年、台湾から引き揚げる。48年、中学に入学しスポーツに熱中。詩を書き始める。お茶の水女子大学を卒業後、59年、博報堂にコピーライターとして入社。言葉の添削癖がつく。62年、父親が逝去し、書き溜めた詩を整理して自家版詩集『工藤直子詩集1962年』を作り、友人などに売り歩く。63年、フリーでコピーライターをしながら、ブラジルやフランスに2年間ほど滞在。82年、『てつがくのライオン』を刊行、同作で日本児童文学者協会新人賞受賞。『ともだちは海のにおい』でサンケイ児童出版文化賞受賞。この頃からひらがなの詩「のはらうた」書き始める。85年、エッセイ集『まるごと好きです』刊行。88年、河合隼雄の心理学に関心を示し、心についての聞き書きを新聞に連載。以後詩集や絵本や児童書の翻訳などの刊行が相次ぎ、言葉とメロディが合体する作詞なども手掛けるようになる。阪田寛夫から明治大正昭和期の童謡や唱歌の作り手について学び、新聞連載を始める。95年、還暦から絵を描き始め、詩画集『こどものころにみた空は』を出す。2008年、『のはらうたV』で野間児童文芸賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
のはらに行くと出会える動物や植物、そして自然の声を、声の主の代わりに詩にした「のはらうた」で知られる工藤直子。生命の営みや季節の移ろいを軽妙な筆致で、そして私たちの心の風景をやさしく素直な言葉で、うたいあげる言葉の数々。
もくじ情報:1 地球のうた;2 生きもののうた;3 のはらうた;4 …(続く)
のはらに行くと出会える動物や植物、そして自然の声を、声の主の代わりに詩にした「のはらうた」で知られる工藤直子。生命の営みや季節の移ろいを軽妙な筆致で、そして私たちの心の風景をやさしく素直な言葉で、うたいあげる言葉の数々。
もくじ情報:1 地球のうた;2 生きもののうた;3 のはらうた;4 こどものころのうた;5 でんせつのうた;6 こころのうた