|
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
荻野 文子(オギノ アヤコ)
兵庫県西脇市生まれ。上智大学文学部国文科卒。1985年に予備校講師となり代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどで「マドンナ先生」として人気を博す。現在、フリー講師として、自作の映像授業を学研プライムゼミにて配信している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 荻野 文子(オギノ アヤコ)
兵庫県西脇市生まれ。上智大学文学部国文科卒。1985年に予備校講師となり代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどで「マドンナ先生」として人気を博す。現在、フリー講師として、自作の映像授業を学研プライムゼミにて配信している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:1章 省みる―いるいる“幼稚な”人…でも、本当に彼らを笑えますか(にくきもの―「だらしなさ」と「おおらかさ」は違う;ありがたきもの―「常識だろ」は、もはや通用しない;あぢきなきもの―「自分探し」は自立を遠ざけるばかり;なまめかしきもの―「場合によりけり」は、そんなに難しいか;ねた…(続く)
もくじ情報:1章 省みる―いるいる“幼稚な”人…でも、本当に彼らを笑えますか(にくきもの―「だらしなさ」と「おおらかさ」は違う;ありがたきもの―「常識だろ」は、もはや通用しない;あぢきなきもの―「自分探し」は自立を遠ざけるばかり;なまめかしきもの―「場合によりけり」は、そんなに難しいか;ねたきもの―幼稚な心で使えば、便利なツールも“凶器”に);2章 躾ける―“行儀わるい”ふるまいに慣れてしまっていませんか(人ばへするもの―子育ての要諦は、じつはシンプル;うつくしきもの―わが子は「うつくし」だけではないから愛しい;わろきもの―流行り言葉を無自覚に使う前に;したり顔なるもの―にわか成金の見苦しさとは;かたはらいたきもの―上司よ、酔余の醜態にご用心;言ひにくきもの―わが子の“不始末”を始末できない親);3章 磨く―“意固地”になったまま、足踏みしていませんか(めでたきもの―「抜け道」を当然に思う恐ろしさ;つれづれなぐさむもの―意味もない無愛想は人を鬱屈させる;とりどころなきもの―生まれつき歪んでいる者などいない;うらやましきもの―オンリー・ワンになりたければ…;心もとなきもの―栄光に輝くプロは苦悩を背負う;昔おぼえて不用なるもの―老いゆく自分を、どう受け入れるか;すさまじきもの―どん底を味わったら立ち上がるだけ);4章 交わる―“独り善がり”のつき合い方で他者を苦しめていませんか(いとほしげなきもの―同情心は「ややこしい」;心ゆくもの―「生」の手触りは、人と人との間にある;心づきなきもの―悪人ではないのに、嫌われる人;人にあなづらるるもの―「いじられる人」は幸いである;にげなきもの―一千年経っても交わらない二人;はづかしきもの―「あなた任せ」ゆえに、女は深読みする;たとしへなきもの―馴れても、なお「をとこ・をとめ」でいられるか);5章 修める―“余裕がない”ために生き方が浅くなっていませんか(うれしきもの―死中にあって、いかに活を求めるか;胸つぶるるもの―人の心の奥行きに、思いを到らせたい;うちとくまじきもの―善と悪、幸と不幸は、運命で反転する;近くて遠きもの―最後に泣く者と笑う者の「差」とは;たのもしきもの―「実意の人」がいればこそ、人は生きられる)