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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
〓川 溥之(タカガワ ヒロユキ)
1956年(昭和31年)愛知県立旭丘高校卒(第八期卒)。2007年(平成19年)(株)シニアダイヤモンド・テクノタンク設立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 〓川 溥之(タカガワ ヒロユキ)
1956年(昭和31年)愛知県立旭丘高校卒(第八期卒)。2007年(平成19年)(株)シニアダイヤモンド・テクノタンク設立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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もくじ情報:第一部(入社して、戦後初の国産旅客機YS‐11の生産に携わる(入社1年目 22歳);ライフワークとメインテーマに出会う(入社2年目 23歳…(続く)
もくじ情報:第一部(入社して、戦後初の国産旅客機YS‐11の生産に携わる(入社1年目 22歳);ライフワークとメインテーマに出会う(入社2年目 23歳~);マイカー購入、そして結婚、初めての海外出張、ターボシャフトエンジンの国産化(入社7年目 29歳);入社当初から続くライセンス生産;ボーイング社からの下請け作業に始まり、本格的な共同開発ボーイング767生産への道程(入社9年目 31歳~);初めて昇格と「YX開発協会」への出向(入社12年目 34歳~));第二部(帰任 航空機生産の先が見えない(入社15年目 37歳~);767生産準備;板金課が担当する設備計画と導入 ほか);第三部(三菱重工 名古屋機器製作所への転籍;名古屋機器製作所はなぜ赤字事業所に陥っていたのか;部長への昇格(入社27年目 49歳8カ月);部長として何ができたか;副所長への昇格(1991年6月 入社31年目 53歳6ヵ月);サラリーマン技術者とはなにか;「半生」とは……育んでくれた会社(三菱重工)と先輩や同僚への感謝と共に歩んだ期間でもある;おわりに)