内容紹介:日本の歴史と文化のあり方を再認識し、「アジアは一つ Asia is one」というメッセージを世界に発信した岡倉天心『東洋の理想』。その新訳とともに、岡倉が伝えたかった美術思想をひもとく。 “Asia is one”―アジアは一つである。その真意とは?1903年、岡倉天心(本名は覚三)が英語で執筆した『東洋の理想』は、「アジアは一つである」という冒頭句によって広く世界に知られた。その後、日本では大東亜共栄主義のプロパガンダにも利用されたが、執筆時の時代背景や岡倉の美術思想を丁寧にたどれば、そこに誤解があったことは明らかである。新たに翻訳を試みた『東洋の理想』から、岡倉の美術思想の真意…(続く)
内容紹介:日本の歴史と文化のあり方を再認識し、「アジアは一つ Asia is one」というメッセージを世界に発信した岡倉天心『東洋の理想』。その新訳とともに、岡倉が伝えたかった美術思想をひもとく。 “Asia is one”―アジアは一つである。その真意とは?1903年、岡倉天心(本名は覚三)が英語で執筆した『東洋の理想』は、「アジアは一つである」という冒頭句によって広く世界に知られた。その後、日本では大東亜共栄主義のプロパガンダにも利用されたが、執筆時の時代背景や岡倉の美術思想を丁寧にたどれば、そこに誤解があったことは明らかである。新たに翻訳を試みた『東洋の理想』から、岡倉の美術思想の真意をひもとく。 もくじ情報:第1部 新訳 東洋の理想(理想の範囲;日本の原始芸術;儒教 北方中国;老荘思想と道教 南方中国;仏教とインド芸術 ほか);第2部 「東洋の理想」でひもとく岡倉天心の美術思想(『東洋の理想』を読むための準備;「明治時代」前半;「明治時代」後半;日本美術史;近世の日本美術 ほか)
“Asia is one”―アジアは一つである。その真意とは?1903年、岡倉天心(本名は覚三)が英語で執筆した『東洋の理想』は、「アジアは一つである」という冒頭句によって広く世界に知られた。その後、日本では大東亜共栄主義のプロパガンダにも利用されたが、執筆時の時代背景や岡倉の美術思想を丁寧にたどれば、そこに誤解があったことは明らかである。新たに翻訳を試みた『東洋の理想』から、岡倉の美術思想の真意…(続く)
“Asia is one”―アジアは一つである。その真意とは?1903年、岡倉天心(本名は覚三)が英語で執筆した『東洋の理想』は、「アジアは一つである」という冒頭句によって広く世界に知られた。その後、日本では大東亜共栄主義のプロパガンダにも利用されたが、執筆時の時代背景や岡倉の美術思想を丁寧にたどれば、そこに誤解があったことは明らかである。新たに翻訳を試みた『東洋の理想』から、岡倉の美術思想の真意をひもとく。
もくじ情報:第1部 新訳 東洋の理想(理想の範囲;日本の原始芸術;儒教 北方中国;老荘思想と道教 南方中国;仏教とインド芸術 ほか);第2部 「東洋の理想」でひもとく岡倉天心の美術思想(『東洋の理想』を読むための準備;「明治時代」前半;「明治時代」後半;日本美術史;近世の日本美術 ほか)