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現象学
出版社名:晃洋書房
出版年月:2023年3月
ISBN:978-4-7710-3707-6
270,7P 22cm
あらわれを哲学する 存在から政治まで
荒畑靖宏/編著 吉川孝/編著
組合員価格 税込
3,267
円
(通常価格 税込 3,630円)
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内容紹介・もくじなど
世界は、その根本のところで、(なにかが・なにかに対して・なにかとしてあらわれる)というあり方をしているのではないか。これが私たちの直観である。そしてこの直観は、さらなる哲学的探究へと開かれていく。
もくじ情報:第1部 ある(存在と真理;存在と真理における「多と一」;無と持続―メルロ=ポンティによるベルクソン批判を巡って);第2部 あらわれる(意識を意識する―「意識」概念への媒介論的アプローチ;体験の一回性について;像はどのようにあらわれるのか―フッサールの像意識論を解釈して擁護する;魔術とは何か―自然主義的アプローチ);第3部 かんがえる(デカルトと合理主義の臨界;哲学は遅れて―メルロ=ポンテ…(
続く
)
世界は、その根本のところで、(なにかが・なにかに対して・なにかとしてあらわれる)というあり方をしているのではないか。これが私たちの直観である。そしてこの直観は、さらなる哲学的探究へと開かれていく。
もくじ情報:第1部 ある(存在と真理;存在と真理における「多と一」;無と持続―メルロ=ポンティによるベルクソン批判を巡って);第2部 あらわれる(意識を意識する―「意識」概念への媒介論的アプローチ;体験の一回性について;像はどのようにあらわれるのか―フッサールの像意識論を解釈して擁護する;魔術とは何か―自然主義的アプローチ);第3部 かんがえる(デカルトと合理主義の臨界;哲学は遅れて―メルロ=ポンティと構造の問い;認識と倫理―水俣から問われる哲学);第4部 よくいきる(現れを迎え入れるという倫理;レヴィナスにおける悪と責任;私は「私」から出られるのか);第5部 ともにある(喪失という撹乱―死別を中心に;不可視性と共同体の倫理―アウグスティヌス「説教」九九における聖書解釈から;自由と政治(ただ共にある)ことを護る)
著者プロフィール
荒畑 靖宏(アラハタ ヤスヒロ)
フライブルク大学哲学部博士課程修了(Dr.phil.)。慶應義塾大学文学部教授
荒畑 靖宏(アラハタ ヤスヒロ)
フライブルク大学哲学部博士課程修了(Dr.phil.)。慶應義塾大学文学部教授
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もくじ情報:第1部 ある(存在と真理;存在と真理における「多と一」;無と持続―メルロ=ポンティによるベルクソン批判を巡って);第2部 あらわれる(意識を意識する―「意識」概念への媒介論的アプローチ;体験の一回性について;像はどのようにあらわれるのか―フッサールの像意識論を解釈して擁護する;魔術とは何か―自然主義的アプローチ);第3部 かんがえる(デカルトと合理主義の臨界;哲学は遅れて―メルロ=ポンティと構造の問い;認識と倫理―水俣から問われる哲学);第4部 よくいきる(現れを迎え入れるという倫理;レヴィナスにおける悪と責任;私は「私」から出られるのか);第5部 ともにある(喪失という撹乱―死別を中心に;不可視性と共同体の倫理―アウグスティヌス「説教」九九における聖書解釈から;自由と政治(ただ共にある)ことを護る)