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哲学・思想
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哲学・思想一般
出版社名:新曜社
出版年月:2007年11月
ISBN:978-4-7885-1077-7
248P 20cm
日本人の〈わたし〉を求めて 比較文化論のすすめ
新形信和/著
組合員価格 税込
2,508
円
(通常価格 税込 2,640円)
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内容紹介・もくじなど
日常の挨拶から庭園、絵画、仏像、武術、宗教まで、西欧文化との比較から浮かび上がる日本人の“わたし”を具体例で解明。
もくじ情報:第1章 日本文化と西欧文化における視点のありかたの違い―桂離宮の庭園とヴェルサイユ宮殿の庭園;第2章 見ることについて―“わたし”はどこにいるか;第3章 “わたし”は世界の外にでる、“わたし”は世界のなかを動く―ルネサンスの透視画法と日本の伝統的絵画;第4章 日本人の“わたし”のありかた―挨拶と自称詞(対称詞)について;第5章 世界の外にでた“わたし”には世界の内部が見えなくなる―仏像のまなざしについて;第6章 日本の伝統武術における“わたし”の行方―弓術と剣術(オイ…(
続く
)
日常の挨拶から庭園、絵画、仏像、武術、宗教まで、西欧文化との比較から浮かび上がる日本人の“わたし”を具体例で解明。
もくじ情報:第1章 日本文化と西欧文化における視点のありかたの違い―桂離宮の庭園とヴェルサイユ宮殿の庭園;第2章 見ることについて―“わたし”はどこにいるか;第3章 “わたし”は世界の外にでる、“わたし”は世界のなかを動く―ルネサンスの透視画法と日本の伝統的絵画;第4章 日本人の“わたし”のありかた―挨拶と自称詞(対称詞)について;第5章 世界の外にでた“わたし”には世界の内部が見えなくなる―仏像のまなざしについて;第6章 日本の伝統武術における“わたし”の行方―弓術と剣術(オイゲン・ヘリゲル、宮本武蔵、柳生宗矩、沢庵);第7章 “わたし”のありかたと宗教は対応している―キリスト教と仏教(ケルン大聖堂と浄瑠璃寺);第8章 神に支えられた“わたし”、自然のなかに溶けこんでいる“わたし”―キリスト教の「神の眼」と日本の「見れば…見ゆ」;補論 デカルトと西田幾多郎(“わたし”は世界の外に確固不動の一点として存在する―デカルト;“わたし”は純粋経験のなかに没している―西田幾多郎)
著者プロフィール
新形 信和(ニイガタ ノブカズ)
1940年、熊本市に生まれ、福岡市で育つ。1968年、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、愛知大学国際コミュニケーション学部比較文化学科教授。専門は比較思想、比較文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
新形 信和(ニイガタ ノブカズ)
1940年、熊本市に生まれ、福岡市で育つ。1968年、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、愛知大学国際コミュニケーション学部比較文化学科教授。専門は比較思想、比較文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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もくじ情報:第1章 日本文化と西欧文化における視点のありかたの違い―桂離宮の庭園とヴェルサイユ宮殿の庭園;第2章 見ることについて―“わたし”はどこにいるか;第3章 “わたし”は世界の外にでる、“わたし”は世界のなかを動く―ルネサンスの透視画法と日本の伝統的絵画;第4章 日本人の“わたし”のありかた―挨拶と自称詞(対称詞)について;第5章 世界の外にでた“わたし”には世界の内部が見えなくなる―仏像のまなざしについて;第6章 日本の伝統武術における“わたし”の行方―弓術と剣術(オイゲン・ヘリゲル、宮本武蔵、柳生宗矩、沢庵);第7章 “わたし”のありかたと宗教は対応している―キリスト教と仏教(ケルン大聖堂と浄瑠璃寺);第8章 神に支えられた“わたし”、自然のなかに溶けこんでいる“わたし”―キリスト教の「神の眼」と日本の「見れば…見ゆ」;補論 デカルトと西田幾多郎(“わたし”は世界の外に確固不動の一点として存在する―デカルト;“わたし”は純粋経験のなかに没している―西田幾多郎)