ようこそ!
マイページ
ご利用ガイド
組合員情報の変更
メールアドレスの変更
ログイン
サイトトップ
e
フレンズトップ
すべて
本
雑誌
CD
DVD・Blu-ray
クリア
本 こだわり検索
書名
著者名
商品説明
出版社名
出版年月
―
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
年
―
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
以前
のみ
以降
ジャンル
選択してください
文庫
新書・選書
文芸
教養
人文
教育
芸術
児童
趣味
生活
地図・ガイド
就職・資格
語学
小学学参
中学学参
高校学参
辞典
コミック
ゲーム攻略本
エンターテイメント
日記手帳
社会
法律
経済
経営
ビジネス
理学
工学
コンピュータ
医学
看護学
薬学
ISBNコード
予約商品を表示しない
検索
クリア
本 >
文芸
>
日本文学
>
文学
出版社名:松籟社
出版年月:2012年7月
ISBN:978-4-87984-309-8
331P 19cm
遠い声 ブラジル日本人作家松井太郎小説選 続
松井太郎/著 西成彦/編 細川周平/編
組合員価格 税込
1,986
円
(通常価格 税込 2,090円)
割引率 5%
お取り寄せ
お届け日未定
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
内容紹介・もくじなど
日本からブラジルに渡り、70余年。手強い大地・気候と格闘してきた老移民が、遠く離れた故国の言語で物語を紡ぐ。前作『うつろ舟』で話題を集めた著者による作品集第二弾。日系社会草創期に起きた駆け落ち事件の真相を探る表題作など、10超の短編を収録。
日本からブラジルに渡り、70余年。手強い大地・気候と格闘してきた老移民が、遠く離れた故国の言語で物語を紡ぐ。前作『うつろ舟』で話題を集めた著者による作品集第二弾。日系社会草創期に起きた駆け落ち事件の真相を探る表題作など、10超の短編を収録。
著者プロフィール
松井 太郎(マツイ タロウ)
父貞蔵、母きよを両親として、1917年神戸市に生まれる。日本の国籍は今も保持。1936年、父の失業を機に、一家でブラジルに渡った。サンパウロ州奥地で農業に従事。一家は四年後には二五ヘクタールの小地主となった。第二次世界大戦、またその後の日本移民社会の動揺を大過なく切り抜ける。意見が合わなくなった父に勘当され、妻・子どもを連れて新しい生活を始める。過労がたたって病を得たが、気候のよいモジ・ダス・クルーゼス市の郊外に移り、病気から回復。妻と息子の働きによって、安定した生活ができるようになった。後日、息子がサンパウロ市に移り、スーパーマーケットを出したのを機に隠居。生来…(
続く
)
松井 太郎(マツイ タロウ)
父貞蔵、母きよを両親として、1917年神戸市に生まれる。日本の国籍は今も保持。1936年、父の失業を機に、一家でブラジルに渡った。サンパウロ州奥地で農業に従事。一家は四年後には二五ヘクタールの小地主となった。第二次世界大戦、またその後の日本移民社会の動揺を大過なく切り抜ける。意見が合わなくなった父に勘当され、妻・子どもを連れて新しい生活を始める。過労がたたって病を得たが、気候のよいモジ・ダス・クルーゼス市の郊外に移り、病気から回復。妻と息子の働きによって、安定した生活ができるようになった。後日、息子がサンパウロ市に移り、スーパーマーケットを出したのを機に隠居。生来、文芸に親しんできたが、隠居後に創作活動を開始。年一作ぐらいの割で創作し、コロニアの新聞・同人誌に投稿を重ねてきた。現在もサンパウロ市に在住、なお創作活動を続けている
同じ著者名で検索した本
日本産サンショウウオ図譜
松井正文/著 関慎太郎/写真
週1副社長になりませんか。 人口最小県「とっとり」にビジネスエリートが続々集まるワケとは
松井太郎/著
吉原饗宴 朝日文庫時代小説アンソロジー/朝日文庫 き25-2 朝日時代小説文庫
菊池仁/編 有馬美季子/著 志川節子/著 中島要/著 南原幹雄/著 松井今朝子/著 山田風太郎/著
うつろ舟 ブラジル日本人作家・松井太郎小説選
松井太郎/著 西成彦/編 細川周平/編
父貞蔵、母きよを両親として、1917年神戸市に生まれる。日本の国籍は今も保持。1936年、父の失業を機に、一家でブラジルに渡った。サンパウロ州奥地で農業に従事。一家は四年後には二五ヘクタールの小地主となった。第二次世界大戦、またその後の日本移民社会の動揺を大過なく切り抜ける。意見が合わなくなった父に勘当され、妻・子どもを連れて新しい生活を始める。過労がたたって病を得たが、気候のよいモジ・ダス・クルーゼス市の郊外に移り、病気から回復。妻と息子の働きによって、安定した生活ができるようになった。後日、息子がサンパウロ市に移り、スーパーマーケットを出したのを機に隠居。生来…(続く)
父貞蔵、母きよを両親として、1917年神戸市に生まれる。日本の国籍は今も保持。1936年、父の失業を機に、一家でブラジルに渡った。サンパウロ州奥地で農業に従事。一家は四年後には二五ヘクタールの小地主となった。第二次世界大戦、またその後の日本移民社会の動揺を大過なく切り抜ける。意見が合わなくなった父に勘当され、妻・子どもを連れて新しい生活を始める。過労がたたって病を得たが、気候のよいモジ・ダス・クルーゼス市の郊外に移り、病気から回復。妻と息子の働きによって、安定した生活ができるようになった。後日、息子がサンパウロ市に移り、スーパーマーケットを出したのを機に隠居。生来、文芸に親しんできたが、隠居後に創作活動を開始。年一作ぐらいの割で創作し、コロニアの新聞・同人誌に投稿を重ねてきた。現在もサンパウロ市に在住、なお創作活動を続けている