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その他アジア文学
出版社名:段々社
出版年月:2013年2月
ISBN:978-4-434-17216-8
491P 20cm
サストロダルソノ家の人々 ジャワ人家族三代の物語/アジア文学館
ウマル・カヤム/著 後藤乾一/訳 姫本由美子/訳 工藤尚子/訳
組合員価格 税込
3,031
円
(通常価格 税込 3,190円)
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内容紹介・もくじなど
オランダ植民地時代、日本占領期、独立戦争を経てスカルノ体制崩壊を招く1965年9月30日事件に至る激動の20世紀。誠実で平穏な家庭に、思いもよらぬ様々な出来事がもちあがる…。影絵芝居ワヤンをこよなく愛し、家族の力を信じて誇り高く生きるサストロダルソノとその一家。一族三代の半世紀にわたる歩みを、家族それぞれの目で綴る現代インドネシア文学の名作。待望の邦訳。
オランダ植民地時代、日本占領期、独立戦争を経てスカルノ体制崩壊を招く1965年9月30日事件に至る激動の20世紀。誠実で平穏な家庭に、思いもよらぬ様々な出来事がもちあがる…。影絵芝居ワヤンをこよなく愛し、家族の力を信じて誇り高く生きるサストロダルソノとその一家。一族三代の半世紀にわたる歩みを、家族それぞれの目で綴る現代インドネシア文学の名作。待望の邦訳。
著者プロフィール
カヤム,ウマル(カヤム,ウマル)
1932~2002。インドネシア・ジャワ島生まれ。両親が教師の家庭に育つ。国立ガジャマダ大学で文学を専攻するが、演劇活動にも熱中。教師生活を経て米国に留学。コーネル大学で博士号取得。1965年9月30日事件で揺れる中帰国し、教育文化省ラジオ・TV・映画総局長に就くが、報道のあり方を巡り3年後に辞任。その後、社会科学訓練センター所長、母校の文学・社会学教授、文化研究所長などを歴任すると共に、早くから作家・評論家としても活躍。学術・芸術界二つに軸足をおく国際派の知識人としても知られた
カヤム,ウマル(カヤム,ウマル)
1932~2002。インドネシア・ジャワ島生まれ。両親が教師の家庭に育つ。国立ガジャマダ大学で文学を専攻するが、演劇活動にも熱中。教師生活を経て米国に留学。コーネル大学で博士号取得。1965年9月30日事件で揺れる中帰国し、教育文化省ラジオ・TV・映画総局長に就くが、報道のあり方を巡り3年後に辞任。その後、社会科学訓練センター所長、母校の文学・社会学教授、文化研究所長などを歴任すると共に、早くから作家・評論家としても活躍。学術・芸術界二つに軸足をおく国際派の知識人としても知られた
1932~2002。インドネシア・ジャワ島生まれ。両親が教師の家庭に育つ。国立ガジャマダ大学で文学を専攻するが、演劇活動にも熱中。教師生活を経て米国に留学。コーネル大学で博士号取得。1965年9月30日事件で揺れる中帰国し、教育文化省ラジオ・TV・映画総局長に就くが、報道のあり方を巡り3年後に辞任。その後、社会科学訓練センター所長、母校の文学・社会学教授、文化研究所長などを歴任すると共に、早くから作家・評論家としても活躍。学術・芸術界二つに軸足をおく国際派の知識人としても知られた
1932~2002。インドネシア・ジャワ島生まれ。両親が教師の家庭に育つ。国立ガジャマダ大学で文学を専攻するが、演劇活動にも熱中。教師生活を経て米国に留学。コーネル大学で博士号取得。1965年9月30日事件で揺れる中帰国し、教育文化省ラジオ・TV・映画総局長に就くが、報道のあり方を巡り3年後に辞任。その後、社会科学訓練センター所長、母校の文学・社会学教授、文化研究所長などを歴任すると共に、早くから作家・評論家としても活躍。学術・芸術界二つに軸足をおく国際派の知識人としても知られた