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出版社名:彩流社
出版年月:2013年3月
ISBN:978-4-7791-1865-4
259P 22cm
境界線上の文学 名古屋大学英文学会第50回大会記念論集
大石和欣/編著 滝川睦/編著 中田晶子/編著
組合員価格 税込
3,135
円
(通常価格 税込 3,300円)
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内容紹介・もくじなど
中心が不在化し、異種混淆性が増殖する現代。境界線は不安定に揺れ、不可視に流転する。変容し続ける英米文学の境界線の文化的・歴史的意義を照射する。越境でもなく、領域横断でもない。錯綜する境界線上に踏み入り、英米文学の位相をうがつ。
もくじ情報:第1部 移動する境界線(エピグラフという境界―T.S.エリオットの場合;バーナムの森が動く『マクベス』における祝祭と境界侵犯;ディケンズと衛生改革―『ドンビー父子』と『我らが共通の友』における汚染と浄化の境界 ほか);第2部 揺蕩う境界線(説明責任の耐えられない重さ―フランシス・バーニーの『セシーリア』における公/私の境界;人間と動物の境界線上―ウルストンク…(
続く
)
中心が不在化し、異種混淆性が増殖する現代。境界線は不安定に揺れ、不可視に流転する。変容し続ける英米文学の境界線の文化的・歴史的意義を照射する。越境でもなく、領域横断でもない。錯綜する境界線上に踏み入り、英米文学の位相をうがつ。
もくじ情報:第1部 移動する境界線(エピグラフという境界―T.S.エリオットの場合;バーナムの森が動く『マクベス』における祝祭と境界侵犯;ディケンズと衛生改革―『ドンビー父子』と『我らが共通の友』における汚染と浄化の境界 ほか);第2部 揺蕩う境界線(説明責任の耐えられない重さ―フランシス・バーニーの『セシーリア』における公/私の境界;人間と動物の境界線上―ウルストンクラフトの女子教育と感受性;奴隷制廃止論者ハリエット・マーティノーの『時の人』とジェンダーの境界 ほか);第3部 消えゆく境界線(消えるディストピア、復元される生―ナボコフの越境;アメリカからアメリカへ―『ブレイク』と越境革命;メルヴィルの「独身者の楽園と乙女の地獄」に見られる楽園と地獄の境界線 ほか)
著者プロフィール
大石 和欣(オオイシ カズヨシ)
東京大学大学院総合文化研究科准教授。研究テーマはイギリス・ロマン主義時代におけるチャリティの理想と言説、およびジェンダーと公共圏との関係性について
大石 和欣(オオイシ カズヨシ)
東京大学大学院総合文化研究科准教授。研究テーマはイギリス・ロマン主義時代におけるチャリティの理想と言説、およびジェンダーと公共圏との関係性について
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もくじ情報:第1部 移動する境界線(エピグラフという境界―T.S.エリオットの場合;バーナムの森が動く『マクベス』における祝祭と境界侵犯;ディケンズと衛生改革―『ドンビー父子』と『我らが共通の友』における汚染と浄化の境界 ほか);第2部 揺蕩う境界線(説明責任の耐えられない重さ―フランシス・バーニーの『セシーリア』における公/私の境界;人間と動物の境界線上―ウルストンク…(続く)
もくじ情報:第1部 移動する境界線(エピグラフという境界―T.S.エリオットの場合;バーナムの森が動く『マクベス』における祝祭と境界侵犯;ディケンズと衛生改革―『ドンビー父子』と『我らが共通の友』における汚染と浄化の境界 ほか);第2部 揺蕩う境界線(説明責任の耐えられない重さ―フランシス・バーニーの『セシーリア』における公/私の境界;人間と動物の境界線上―ウルストンクラフトの女子教育と感受性;奴隷制廃止論者ハリエット・マーティノーの『時の人』とジェンダーの境界 ほか);第3部 消えゆく境界線(消えるディストピア、復元される生―ナボコフの越境;アメリカからアメリカへ―『ブレイク』と越境革命;メルヴィルの「独身者の楽園と乙女の地獄」に見られる楽園と地獄の境界線 ほか)