ようこそ!
出版社名:祥伝社
出版年月:2014年4月
ISBN:978-4-396-65051-3
491P 20cm
原勝郎博士の「日本通史」
原勝郎/著 中山理/訳 渡部昇一/監修
組合員価格 税込 2,404
(通常価格 税込 2,530円)
割引率 5%
在庫あり
生協宅配にてお届け
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
日本に対する認識不足解消のために英文で書かれた日本史。
日本に対する認識不足解消のために英文で書かれた日本史。
内容紹介・もくじなど
内容紹介:1920年、外国人向けに英文で書かれた歴史的名著、初の邦訳 日本人こそ読んでおきたい 最小限で必要十分な教養としての日本史 日本の正しい歴史を世界に発信するという大プロジェクト 第一次大戦当時、世界の日本を見る目は、警戒感と悪意に富んだものへと急激に変わりつつあった。そこで、当時の政財界、学界を代表する有志が、日本の正しい歴史を世界に発信する書籍の刊行を計画し、その著者に選ばれたのが、西洋と日本の両方に通じ、当時の日本を代表する歴史学者である原勝郎だった。本書は、一代の碩学が古代から近代までの日本通史を、英文で一気に書き下ろしたことに最大の特色がある。もともと外国人向けであるので、日…(続く
内容紹介:1920年、外国人向けに英文で書かれた歴史的名著、初の邦訳 日本人こそ読んでおきたい 最小限で必要十分な教養としての日本史 日本の正しい歴史を世界に発信するという大プロジェクト 第一次大戦当時、世界の日本を見る目は、警戒感と悪意に富んだものへと急激に変わりつつあった。そこで、当時の政財界、学界を代表する有志が、日本の正しい歴史を世界に発信する書籍の刊行を計画し、その著者に選ばれたのが、西洋と日本の両方に通じ、当時の日本を代表する歴史学者である原勝郎だった。本書は、一代の碩学が古代から近代までの日本通史を、英文で一気に書き下ろしたことに最大の特色がある。もともと外国人向けであるので、日本史の基礎知識が乏しい人にもわかりやすく、100年近くたった今日でも、その価値を失っていない。100年近く前の本書が価値を失わない理由/渡部昇一 今から九十数年前に出た日本史の本が、その価値を失っていないのは驚くべきことである。その理由の第一は、欧米人でも、アジア人でも、日本の通史を知っている人がほとんどいないという状況は、九十数年前と変わっていないことである。それどころか、むしろ誤解の度がひどくなっているのではないか。第二は、古今を通じて、原勝郎のごとく日本史にもヨーロッパ史にも通じた学者はいないということである。歴史でも専門の分化が進行するにつれて、通史そのものを書ける学者がいなくなってしまったように見える。通史の仕事はワンマン・プレイでないといけない。その点、原のような学者は、天が日本史を書くために日本に特に下し給(たも)うたような学者であった。いろいろ異論は立てることはできても、この本に代わるようなものは、なかなか出現しないであろう。
1920年、外国人向けに英文で書かれた歴史的名著、初の邦訳。日本人こそ読んでおきたい最小限で必要十分な教養としての日本史。
もくじ情報:日本史の特質;日本人はどこから来たか;仏教伝来以前の日本と、シナ文明;天皇の権力増大、漸進的な中央集権化;律令国家の建設;新政権の完成と停滞、武士階級の擡頭;武家政権の誕生と鎌倉幕府;鎌倉政権から足利政権へ;中世日本の終焉;中世から近世日本への移行;徳川幕府とその国家体制;徳川の幕府・文化、社会;明治維新;結び―世界の中の日本
著者プロフィール
原 勝郎(ハラ カツロウ)
1871年(明治4年)旧盛岡藩士の長男として生まれる。東京帝大史学科卒。1907年(明治40年)から英仏米に留学。1909年(明治42年)京都帝大教授に就任。1922年(大正11年)から文学部長。和辻哲郎、西田幾多郎らと同僚で、専攻は西洋史だが、日本史にも通じていた。1924年(大正13年)死去
原 勝郎(ハラ カツロウ)
1871年(明治4年)旧盛岡藩士の長男として生まれる。東京帝大史学科卒。1907年(明治40年)から英仏米に留学。1909年(明治42年)京都帝大教授に就任。1922年(大正11年)から文学部長。和辻哲郎、西田幾多郎らと同僚で、専攻は西洋史だが、日本史にも通じていた。1924年(大正13年)死去