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クラシック論
出版社名:法政大学出版局
出版年月:2014年6月
ISBN:978-4-588-09987-8
269,12P 20cm
マーラー 音楽観相学 新装版/叢書・ウニベルシタス 628
テオドール・W.アドルノ/著 龍村あや子/訳
組合員価格 税込
3,135
円
(通常価格 税込 3,300円)
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精緻な作品分析によりマーラー音楽世界の構想・イデー・技術を解き明かし、その現代性を見事に捉える。
精緻な作品分析によりマーラー音楽世界の構想・イデー・技術を解き明かし、その現代性を見事に捉える。
内容紹介・もくじなど
もくじ情報:1 天幕とファンファーレ;2 音調;3 性格的要素;4 小説;5 ヴァリアンテ―形式;6 技術の次元;7 崩壊と肯定;8 長きまなざし
もくじ情報:1 天幕とファンファーレ;2 音調;3 性格的要素;4 小説;5 ヴァリアンテ―形式;6 技術の次元;7 崩壊と肯定;8 長きまなざし
著者プロフィール
アドルノ,テオドール・W.(アドルノ,テオドールW.)
1903年フランクフルト生まれ。青年時代から哲学と音楽の両分野で才能を発揮。哲学博士号取得の後、1925年よりウィーンでアルバン・ベルクに作曲を学び、音楽家と交流。1928~31年前衛的音楽評論雑誌『アンブルッフ』の編集を担当する。1931年キルケゴールに関する論文で教授資格取得。1938年アメリカ移住。フランクフルト学派の一員として社会研究に従事。1949年にフランクフルトに戻り、ホルクハイマーとともに1950年社会研究所を再開する。ドイツ社会学会会長。1969年没
アドルノ,テオドール・W.(アドルノ,テオドールW.)
1903年フランクフルト生まれ。青年時代から哲学と音楽の両分野で才能を発揮。哲学博士号取得の後、1925年よりウィーンでアルバン・ベルクに作曲を学び、音楽家と交流。1928~31年前衛的音楽評論雑誌『アンブルッフ』の編集を担当する。1931年キルケゴールに関する論文で教授資格取得。1938年アメリカ移住。フランクフルト学派の一員として社会研究に従事。1949年にフランクフルトに戻り、ホルクハイマーとともに1950年社会研究所を再開する。ドイツ社会学会会長。1969年没
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1903年フランクフルト生まれ。青年時代から哲学と音楽の両分野で才能を発揮。哲学博士号取得の後、1925年よりウィーンでアルバン・ベルクに作曲を学び、音楽家と交流。1928~31年前衛的音楽評論雑誌『アンブルッフ』の編集を担当する。1931年キルケゴールに関する論文で教授資格取得。1938年アメリカ移住。フランクフルト学派の一員として社会研究に従事。1949年にフランクフルトに戻り、ホルクハイマーとともに1950年社会研究所を再開する。ドイツ社会学会会長。1969年没
1903年フランクフルト生まれ。青年時代から哲学と音楽の両分野で才能を発揮。哲学博士号取得の後、1925年よりウィーンでアルバン・ベルクに作曲を学び、音楽家と交流。1928~31年前衛的音楽評論雑誌『アンブルッフ』の編集を担当する。1931年キルケゴールに関する論文で教授資格取得。1938年アメリカ移住。フランクフルト学派の一員として社会研究に従事。1949年にフランクフルトに戻り、ホルクハイマーとともに1950年社会研究所を再開する。ドイツ社会学会会長。1969年没