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出版社名:原書房
出版年月:2015年7月
ISBN:978-4-562-05179-3
303P 20cm
原爆の惨禍 名著で読む広島・長崎の記憶
蜂谷道彦/著 原民喜/著 秋月辰一郎/著 林京子/著
組合員価格 税込
1,881
円
(通常価格 税込 1,980円)
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被爆地には、75年間草木も生えぬ。投下直後の風評から2都市はこう絶望視された。爆心地の至近で被爆直後から治療にあたった医師の記録「ヒロシマ日記」「長崎原爆記」と、評価の高い文芸作品「夏の花」「祭りの場」の4篇は、読んでおきたい。
被爆地には、75年間草木も生えぬ。投下直後の風評から2都市はこう絶望視された。爆心地の至近で被爆直後から治療にあたった医師の記録「ヒロシマ日記」「長崎原爆記」と、評価の高い文芸作品「夏の花」「祭りの場」の4篇は、読んでおきたい。
内容紹介・もくじなど
原爆から70年。記憶の風化という、新たな悲劇を迎えないために。「原子爆弾の被爆地には、75年間草木も生えぬ」投下直後、アメリカでの実験から2つの都市はこう絶望視された。広島・長崎での被爆直後から治療にあたった医師の記録2篇と、文芸作品として評価の高い2篇を収録している。
もくじ情報:ヒロシマ日記―地上最悪の日/焦土の中の病舎/慢性原爆症患者 蜂谷道彦;夏の花 原民喜;長崎原爆記―被爆医師の証言 八月九日の長崎/医療活動の開始/死の同心円 秋月辰一郎;祭りの場 林京子
原爆から70年。記憶の風化という、新たな悲劇を迎えないために。「原子爆弾の被爆地には、75年間草木も生えぬ」投下直後、アメリカでの実験から2つの都市はこう絶望視された。広島・長崎での被爆直後から治療にあたった医師の記録2篇と、文芸作品として評価の高い2篇を収録している。
もくじ情報:ヒロシマ日記―地上最悪の日/焦土の中の病舎/慢性原爆症患者 蜂谷道彦;夏の花 原民喜;長崎原爆記―被爆医師の証言 八月九日の長崎/医療活動の開始/死の同心円 秋月辰一郎;祭りの場 林京子
著者プロフィール
蜂谷 道彦(ハチヤ ミチヒコ)
1903年、岡山市に生まれる。1929年に岡山医科大学を卒業後、1942年、広島逓信病院院長に就任。1945年8月6日、原子爆弾の投下時、市内の自宅で被爆、三〇近い傷の縫合を受けた。8月11日以降、院内回診を始め、患者の病床録作りを医師に指示。結果、患者の白血球が減少を突き止め、爆心からの距離、被爆位置と白血球数の関係を地図にして発表した。院長としての原爆投下直後の五六日間の記録は「ヒロシマ日記」として世界一八ヵ国で出版。1966年広島逓信病院院長を辞職、1980年4月13日死去
蜂谷 道彦(ハチヤ ミチヒコ)
1903年、岡山市に生まれる。1929年に岡山医科大学を卒業後、1942年、広島逓信病院院長に就任。1945年8月6日、原子爆弾の投下時、市内の自宅で被爆、三〇近い傷の縫合を受けた。8月11日以降、院内回診を始め、患者の病床録作りを医師に指示。結果、患者の白血球が減少を突き止め、爆心からの距離、被爆位置と白血球数の関係を地図にして発表した。院長としての原爆投下直後の五六日間の記録は「ヒロシマ日記」として世界一八ヵ国で出版。1966年広島逓信病院院長を辞職、1980年4月13日死去
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もくじ情報:ヒロシマ日記―地上最悪の日/焦土の中の病舎/慢性原爆症患者 蜂谷道彦;夏の花 原民喜;長崎原爆記―被爆医師の証言 八月九日の長崎/医療活動の開始/死の同心円 秋月辰一郎;祭りの場 林京子
1903年、岡山市に生まれる。1929年に岡山医科大学を卒業後、1942年、広島逓信病院院長に就任。1945年8月6日、原子爆弾の投下時、市内の自宅で被爆、三〇近い傷の縫合を受けた。8月11日以降、院内回診を始め、患者の病床録作りを医師に指示。結果、患者の白血球が減少を突き止め、爆心からの距離、被爆位置と白血球数の関係を地図にして発表した。院長としての原爆投下直後の五六日間の記録は「ヒロシマ日記」として世界一八ヵ国で出版。1966年広島逓信病院院長を辞職、1980年4月13日死去
1903年、岡山市に生まれる。1929年に岡山医科大学を卒業後、1942年、広島逓信病院院長に就任。1945年8月6日、原子爆弾の投下時、市内の自宅で被爆、三〇近い傷の縫合を受けた。8月11日以降、院内回診を始め、患者の病床録作りを医師に指示。結果、患者の白血球が減少を突き止め、爆心からの距離、被爆位置と白血球数の関係を地図にして発表した。院長としての原爆投下直後の五六日間の記録は「ヒロシマ日記」として世界一八ヵ国で出版。1966年広島逓信病院院長を辞職、1980年4月13日死去