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マルクス思想
出版社名:航思社
出版年月:2017年2月
ISBN:978-4-906738-21-2
304P 20cm
コミュニズムの争異 ネグリとバディウ
アルベルト・トスカーノ/著 長原豊/訳
組合員価格 税込
3,344
円
(通常価格 税込 3,520円)
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内容紹介・もくじなど
マルクス思想の刷新をめざして世界的に注目される若き俊英が、みずからの2人の師であるネグリとバディウの理論を極限まで展開し、さらなる展望を開く―2人の批判的入門書にして、来るべきコミュニズムを構想する最前線のラディカル思想。
もくじ情報:係争のもとにあるさまざまなコミュニズム;第1部 ネグリ(叛乱のクロニクル―トロンティ、ネグリ、そして敵対関係の主体;つねにすでに、あるのはただ現在だけ―ネグリと生政治的なこと;マルチチュードの感覚的な宗教―ネグリにおける芸術と抽象化);第2部 バディウ(国外に追放されたマルクス主義―アラン・バディウの転回;暴力は思考可能か―バディウと(マルクス主義)政治の可能性…(
続く
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マルクス思想の刷新をめざして世界的に注目される若き俊英が、みずからの2人の師であるネグリとバディウの理論を極限まで展開し、さらなる展望を開く―2人の批判的入門書にして、来るべきコミュニズムを構想する最前線のラディカル思想。
もくじ情報:係争のもとにあるさまざまなコミュニズム;第1部 ネグリ(叛乱のクロニクル―トロンティ、ネグリ、そして敵対関係の主体;つねにすでに、あるのはただ現在だけ―ネグリと生政治的なこと;マルチチュードの感覚的な宗教―ネグリにおける芸術と抽象化);第2部 バディウ(国外に追放されたマルクス主義―アラン・バディウの転回;暴力は思考可能か―バディウと(マルクス主義)政治の可能性;ブルジョワとイスラム主義者、あるいは政治の他なる主体;前‐政治的時代の政治);訳者あとがき 「仲介者ドゥルーズ」と「消えゆく媒介者マルクス」のコミュニスト的結節は可能なのか?
著者プロフィール
トスカーノ,アルベルト(トスカーノ,アルベルト)
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ教員(批判理論)、同哲学・批判的思想研究センター共同ディレクター。マルクス思想の理論的発展を進めるべく1997年に創刊されたHistorical Materialism誌の編集委員をつとめる
トスカーノ,アルベルト(トスカーノ,アルベルト)
ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ教員(批判理論)、同哲学・批判的思想研究センター共同ディレクター。マルクス思想の理論的発展を進めるべく1997年に創刊されたHistorical Materialism誌の編集委員をつとめる
もくじ情報:係争のもとにあるさまざまなコミュニズム;第1部 ネグリ(叛乱のクロニクル―トロンティ、ネグリ、そして敵対関係の主体;つねにすでに、あるのはただ現在だけ―ネグリと生政治的なこと;マルチチュードの感覚的な宗教―ネグリにおける芸術と抽象化);第2部 バディウ(国外に追放されたマルクス主義―アラン・バディウの転回;暴力は思考可能か―バディウと(マルクス主義)政治の可能性…(続く)
もくじ情報:係争のもとにあるさまざまなコミュニズム;第1部 ネグリ(叛乱のクロニクル―トロンティ、ネグリ、そして敵対関係の主体;つねにすでに、あるのはただ現在だけ―ネグリと生政治的なこと;マルチチュードの感覚的な宗教―ネグリにおける芸術と抽象化);第2部 バディウ(国外に追放されたマルクス主義―アラン・バディウの転回;暴力は思考可能か―バディウと(マルクス主義)政治の可能性;ブルジョワとイスラム主義者、あるいは政治の他なる主体;前‐政治的時代の政治);訳者あとがき 「仲介者ドゥルーズ」と「消えゆく媒介者マルクス」のコミュニスト的結節は可能なのか?