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教育心理
出版社名:萌文書林
出版年月:2017年6月
ISBN:978-4-89347-252-6
142P 図版16P 21cm
倉橋惣三「児童心理」講義録を読み解く
川上須賀子/著 槇英子/著 浜口順子/著 中澤潤/著 榎沢良彦/著
組合員価格 税込
2,404
円
(通常価格 税込 2,530円)
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:1 「川上ノート」とは(「川上ノート」の背景;「川上ノート」の特徴;「児童心理」抗議録の特徴);2 倉橋惣三と「川上ノート」の時代(1934(昭和9)~1935(昭和10)年の倉橋の著作;倉橋惣三のその他の論考(1934(昭和9)~35(昭和10)年);倉橋が求めた保育者の専門性);3 倉橋惣三「児童心理」講義録(児童研究;精神発達;遊戯の心理;幼児生活の非現実性;自我の心理 自我生活);4 保育者養成と心理学:心理学者としての倉橋惣三(昭和初期の日本の心理学と児童心理学;保育者養成における「児童心理学」の位置;心理学者としての倉橋惣三;倉橋の「児童心理」授業);5 「児童心理」講…(
続く
)
もくじ情報:1 「川上ノート」とは(「川上ノート」の背景;「川上ノート」の特徴;「児童心理」抗議録の特徴);2 倉橋惣三と「川上ノート」の時代(1934(昭和9)~1935(昭和10)年の倉橋の著作;倉橋惣三のその他の論考(1934(昭和9)~35(昭和10)年);倉橋が求めた保育者の専門性);3 倉橋惣三「児童心理」講義録(児童研究;精神発達;遊戯の心理;幼児生活の非現実性;自我の心理 自我生活);4 保育者養成と心理学:心理学者としての倉橋惣三(昭和初期の日本の心理学と児童心理学;保育者養成における「児童心理学」の位置;心理学者としての倉橋惣三;倉橋の「児童心理」授業);5 「児童心理」講義録が示唆すること(「児童心理」と現在の養成課程における心理学系科目の比較;さまざまな「自我」;「児童心理」に見られる保育者観;改めて倉橋から学ぶこと)
著者プロフィール
川上 須賀子(カワカミ スガコ)
1917(大正6)年2月、川上滴三(海軍少将)と初枝の長女として生まれる。東京府立第五高等女学校を1934(昭和9)年に卒業後、東京女子高等師範学校保育実習科に入学し、倉橋惣三の講義を受講する。1935(昭和10)年に卒業後、宮内庁皇后宮職に出仕し、倉橋の推薦で新皇子(現在の天皇陛下)の保姆となる。1940(昭和15)年に宮内庁を辞し、2年後に槙重博(当時帝室林野局勤務、後に上智大学教授)と結婚して珠万子と改名、二男一女の母となる。1990(平成2)年に73歳で没する
川上 須賀子(カワカミ スガコ)
1917(大正6)年2月、川上滴三(海軍少将)と初枝の長女として生まれる。東京府立第五高等女学校を1934(昭和9)年に卒業後、東京女子高等師範学校保育実習科に入学し、倉橋惣三の講義を受講する。1935(昭和10)年に卒業後、宮内庁皇后宮職に出仕し、倉橋の推薦で新皇子(現在の天皇陛下)の保姆となる。1940(昭和15)年に宮内庁を辞し、2年後に槙重博(当時帝室林野局勤務、後に上智大学教授)と結婚して珠万子と改名、二男一女の母となる。1990(平成2)年に73歳で没する
1917(大正6)年2月、川上滴三(海軍少将)と初枝の長女として生まれる。東京府立第五高等女学校を1934(昭和9)年に卒業後、東京女子高等師範学校保育実習科に入学し、倉橋惣三の講義を受講する。1935(昭和10)年に卒業後、宮内庁皇后宮職に出仕し、倉橋の推薦で新皇子(現在の天皇陛下)の保姆となる。1940(昭和15)年に宮内庁を辞し、2年後に槙重博(当時帝室林野局勤務、後に上智大学教授)と結婚して珠万子と改名、二男一女の母となる。1990(平成2)年に73歳で没する
1917(大正6)年2月、川上滴三(海軍少将)と初枝の長女として生まれる。東京府立第五高等女学校を1934(昭和9)年に卒業後、東京女子高等師範学校保育実習科に入学し、倉橋惣三の講義を受講する。1935(昭和10)年に卒業後、宮内庁皇后宮職に出仕し、倉橋の推薦で新皇子(現在の天皇陛下)の保姆となる。1940(昭和15)年に宮内庁を辞し、2年後に槙重博(当時帝室林野局勤務、後に上智大学教授)と結婚して珠万子と改名、二男一女の母となる。1990(平成2)年に73歳で没する