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芸能その他
出版社名:幻戯書房
出版年月:2021年5月
ISBN:978-4-86488-219-4
389P 図版6枚 20cm
河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶
篠田正浩/著
組合員価格 税込
3,762
円
(通常価格 税込 3,960円)
割引率 5%
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:芸能賎民の運命;河原という言葉;排除された雑技芸;劇的なるもの;「猿」について;漂流する芸能;神仏習合の契機;「翁」について;清水坂から五条通りへ;白拍子とは何か;興業者の誕生;歌舞伎と浄瑠璃;近松門左衛門;すさまじきものは宮仕え;助六誕生;東洲斎写楽;東海道四谷怪談;團十郎追放;河原者の終焉
もくじ情報:芸能賎民の運命;河原という言葉;排除された雑技芸;劇的なるもの;「猿」について;漂流する芸能;神仏習合の契機;「翁」について;清水坂から五条通りへ;白拍子とは何か;興業者の誕生;歌舞伎と浄瑠璃;近松門左衛門;すさまじきものは宮仕え;助六誕生;東洲斎写楽;東海道四谷怪談;團十郎追放;河原者の終焉
著者プロフィール
篠田 正浩(シノダ マサヒロ)
映画監督。1931(昭和6)年、岐阜県生まれ。49年、早稲田大学第一文学部入学、中世・近世演劇を専攻。50年、箱根駅伝出場、二区を走る。53年、早大卒業、松竹撮影所入社。60年、『恋の片道切符』で監督となる。大島渚、吉田喜重らとともに「松竹ヌーベルバーグ」として前衛的名作を発表。66年、松竹退社、フリーとなる。67年、独立プロダクションの表現社を妻の岩下志麻とともに設立、自主制作を始める。2003(平成15)年、『スパイ・ゾルゲ』を最後に監督業引退。主な映画作品に『心中天網島』(1969 キネマ旬報ベストワン)、『無頼漢』(1970 アデレイド国際映画祭銀の南十…(
続く
)
篠田 正浩(シノダ マサヒロ)
映画監督。1931(昭和6)年、岐阜県生まれ。49年、早稲田大学第一文学部入学、中世・近世演劇を専攻。50年、箱根駅伝出場、二区を走る。53年、早大卒業、松竹撮影所入社。60年、『恋の片道切符』で監督となる。大島渚、吉田喜重らとともに「松竹ヌーベルバーグ」として前衛的名作を発表。66年、松竹退社、フリーとなる。67年、独立プロダクションの表現社を妻の岩下志麻とともに設立、自主制作を始める。2003(平成15)年、『スパイ・ゾルゲ』を最後に監督業引退。主な映画作品に『心中天網島』(1969 キネマ旬報ベストワン)、『無頼漢』(1970 アデレイド国際映画祭銀の南十字星賞)、『沈黙 SILENCE』(1971 芸術選奨文部大臣賞)、『はなれ瞽女おりん』(1977 アジア太平洋映画祭監督賞、日本アカデミー優秀作品賞)等(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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映画監督。1931(昭和6)年、岐阜県生まれ。49年、早稲田大学第一文学部入学、中世・近世演劇を専攻。50年、箱根駅伝出場、二区を走る。53年、早大卒業、松竹撮影所入社。60年、『恋の片道切符』で監督となる。大島渚、吉田喜重らとともに「松竹ヌーベルバーグ」として前衛的名作を発表。66年、松竹退社、フリーとなる。67年、独立プロダクションの表現社を妻の岩下志麻とともに設立、自主制作を始める。2003(平成15)年、『スパイ・ゾルゲ』を最後に監督業引退。主な映画作品に『心中天網島』(1969 キネマ旬報ベストワン)、『無頼漢』(1970 アデレイド国際映画祭銀の南十字星賞)、『沈黙 SILENCE』(1971 芸術選奨文部大臣賞)、『はなれ瞽女おりん』(1977 アジア太平洋映画祭監督賞、日本アカデミー優秀作品賞)等(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)