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出版社名:三樹書房
出版年月:2024年8月
ISBN:978-4-89522-818-3
172P 27cm
ロータリーエンジン車 マツダを中心としたロータリーエンジン搭載モデルの系譜
当摩節夫/著
組合員価格 税込 4,703
(通常価格 税込 4,950円)
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内容紹介・もくじなど
ロータリーエンジン搭載マツダコスモ(試作車)発表から60年。フェリックス・バンケル博士が研究を重ねていたロータリーエンジンは、ドイツのNSU社の協力のもとで開発が進み、1957年に最初のDKM54型ロータリーエンジンが製作された。回転運動により動力を生み出すコンパクトなロータリーエンジンは、往復運動を回転運動に変換する従来のレシプロエンジンに代わる「未来のエンジン」とも称されて注目を集め、世界中のメーカーがNSU社にライセンス契約などを申し込んだ。ロータリーエンジンの研究開発は各メーカーで進められ、わずか数社が市販に成功したものの、ほとんどのメーカーが撤退となったが、マツダは次々と量産車を開発…(続く
ロータリーエンジン搭載マツダコスモ(試作車)発表から60年。フェリックス・バンケル博士が研究を重ねていたロータリーエンジンは、ドイツのNSU社の協力のもとで開発が進み、1957年に最初のDKM54型ロータリーエンジンが製作された。回転運動により動力を生み出すコンパクトなロータリーエンジンは、往復運動を回転運動に変換する従来のレシプロエンジンに代わる「未来のエンジン」とも称されて注目を集め、世界中のメーカーがNSU社にライセンス契約などを申し込んだ。ロータリーエンジンの研究開発は各メーカーで進められ、わずか数社が市販に成功したものの、ほとんどのメーカーが撤退となったが、マツダは次々と量産車を開発した結果、ロータリーエンジン車を200万台近くも量産する世界で唯一のメーカーに成長した。その後2012年にロータリーエンジン車の生産が途絶えたが、2023年にマツダは、MX‐30 Rotary‐EVの発電用エンジンとして、ロータリーエンジンを復活させたのである。愛蔵版600部。
もくじ情報:ロータリーエンジン車の歴史(ロータリーエンジンフィーバー;ロータリーエンジンをモノにしたマツダの苦闘;マツダのロータリーエンジン車);カタログでたどるロータリーエンジン車(メーカー各社が挑戦したロータリーエンジン車;マツダのロータリーエンジン車)
著者プロフィール
当摩 節夫(トウマ セツオ)
1937年、東京に生まれる。1956年に富士精密工業入社、開発実験業務にかかわる。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍、1970年にATテストでデトロイト~西海岸を車で1往復約1万キロ走破。往路はシカゴ~サンタモニカまで、当時は現役であった「ルート66」3800kmを走破。1972年に日産自動車、海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導、KD車両のチューニングなどにかかわる。1986年~1997年の間、カルソニックの海外事業部に移籍、豪亜地域の海外拠点展開にかかわる。1986年~1989年の間シンガポール駐在。1954年から世界の自動車カタログ…(続く
当摩 節夫(トウマ セツオ)
1937年、東京に生まれる。1956年に富士精密工業入社、開発実験業務にかかわる。1967年、合併した日産自動車の実験部に移籍、1970年にATテストでデトロイト~西海岸を車で1往復約1万キロ走破。往路はシカゴ~サンタモニカまで、当時は現役であった「ルート66」3800kmを走破。1972年に日産自動車、海外サービス部に移り、海外代理店のマネージメント指導、KD車両のチューニングなどにかかわる。1986年~1997年の間、カルソニックの海外事業部に移籍、豪亜地域の海外拠点展開にかかわる。1986年~1989年の間シンガポール駐在。1954年から世界の自動車カタログの収集を始め現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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