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戦争
出版社名:群像社
出版年月:2025年1月
ISBN:978-4-910100-40-1
109P 18cm
サハリン、ウクライナ、そして帰郷 ソ連残留日本人の軌跡/ユーラシア文庫 21
降籏英捷/著 山口裕之/編訳
組合員価格 税込
941
円
(通常価格 税込 990円)
割引率 5%
在庫あり
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:孫に頼まれ家族と避難 まさかの侵攻、兄妹待つ日本へ;日本への永住帰国決める やはりここが両親と私の故郷;母の出産・兄の大けが サハリンからの引き揚げかなわず;強制移住で北の町ポロナイスクへ 迎える人・泊まる宿なく;生活のためにソ連国民に 厳しい冬の思い出;スパイと疑われたか? かなわなかった両親の帰国;強制移住の地で学校卒業 いったん就職、思い直し進学決意;レニングラード工科大学へ進学 勉強と仕事に追われる日々;めまぐるしい学生生活 将来の妻との出会い;大学卒業、再びサハリンへ 考えた末にソ連共産党入党;安心して暮らせる地を求めて ウクライナを転々、党から除名;工業都市ジトーミルで…(
続く
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もくじ情報:孫に頼まれ家族と避難 まさかの侵攻、兄妹待つ日本へ;日本への永住帰国決める やはりここが両親と私の故郷;母の出産・兄の大けが サハリンからの引き揚げかなわず;強制移住で北の町ポロナイスクへ 迎える人・泊まる宿なく;生活のためにソ連国民に 厳しい冬の思い出;スパイと疑われたか? かなわなかった両親の帰国;強制移住の地で学校卒業 いったん就職、思い直し進学決意;レニングラード工科大学へ進学 勉強と仕事に追われる日々;めまぐるしい学生生活 将来の妻との出会い;大学卒業、再びサハリンへ 考えた末にソ連共産党入党;安心して暮らせる地を求めて ウクライナを転々、党から除名;工業都市ジトーミルで新居を手に 幸せな生活に向けて;ジトーミルの職場 酔っぱらいとの闘い;三度の軍事訓練 最後は大尉に任命;荒れた土地耕し、農作業に精出す 自分で建てた「別荘」で;ソ連崩壊、混乱した経済 「消えた」預金、給料は現物支給;ウクライナ独立後の暮らし 富は一部に、人々は苦しく;汚職広がり、物価は上昇 ソ連へのノスタルジーにはくみせず;ソ連型医療への幻想 「無料」でも、お金はかかる;ウクライナの医療 はびこる賄賂、知識ない医師多く;ソ連時代の選挙や新聞 見せかけの真実、実際は党に奉仕;独立後のウクライナ大統領 異なる信念、続く不安定な政治;終わらぬ戦争と汚職 第二のふるさとの未来、幸せ祈る;日本で暮らしはじめて 戦争が終わったら…;両親の故郷、安曇野へ
著者プロフィール
降籏 英捷(フリハタ ヒデカツ)
1943年、南樺太(当時は日本領、現ロシア・サハリン州南部)生まれ。両親は長野県安曇野市出身。1945年8月のソ連による侵攻で日本本土に帰国できなくなり、家族とともに取り残された。その後、進学先のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルク)で出会ったウクライナ出身の女性と結婚し、ウクライナで2022年まで暮らした。同年3月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて日本に一時避難。同11月に永住帰国を決め、日本国籍が認定された
降籏 英捷(フリハタ ヒデカツ)
1943年、南樺太(当時は日本領、現ロシア・サハリン州南部)生まれ。両親は長野県安曇野市出身。1945年8月のソ連による侵攻で日本本土に帰国できなくなり、家族とともに取り残された。その後、進学先のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルク)で出会ったウクライナ出身の女性と結婚し、ウクライナで2022年まで暮らした。同年3月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて日本に一時避難。同11月に永住帰国を決め、日本国籍が認定された
1943年、南樺太(当時は日本領、現ロシア・サハリン州南部)生まれ。両親は長野県安曇野市出身。1945年8月のソ連による侵攻で日本本土に帰国できなくなり、家族とともに取り残された。その後、進学先のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルク)で出会ったウクライナ出身の女性と結婚し、ウクライナで2022年まで暮らした。同年3月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて日本に一時避難。同11月に永住帰国を決め、日本国籍が認定された
1943年、南樺太(当時は日本領、現ロシア・サハリン州南部)生まれ。両親は長野県安曇野市出身。1945年8月のソ連による侵攻で日本本土に帰国できなくなり、家族とともに取り残された。その後、進学先のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルク)で出会ったウクライナ出身の女性と結婚し、ウクライナで2022年まで暮らした。同年3月、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて日本に一時避難。同11月に永住帰国を決め、日本国籍が認定された