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保育実務その他
出版社名:北大路書房
出版年月:2025年3月
ISBN:978-4-7628-3281-9
258P 19cm
子どもをあらわすということ
青山誠/〔ほか〕編著 溝口義朗/〔ほか〕著
組合員価格 税込
2,404
円
(通常価格 税込 2,530円)
割引率 5%
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内容紹介・もくじなど
子どもと生きた時間をそのままあらわしたい。日々の保育のなかで、子どもとともに過ごした記録として、さまざまな方法で「あらわそう」と試みる。しかし、うまく「あらわせ」なかったり、あらわそうとした瞬間に、何か大事なものがこぼれ落ちてしまうような感覚に悩まされたりもする。それでも、あらわさずにはいられない…。
もくじ情報:序章 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える;第1章 記述することから見えてくる;第2章 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと―保育における観察と記録の一論点について;第3章 乳児から見た世界をあらわす;第4章 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性―保育…(
続く
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子どもと生きた時間をそのままあらわしたい。日々の保育のなかで、子どもとともに過ごした記録として、さまざまな方法で「あらわそう」と試みる。しかし、うまく「あらわせ」なかったり、あらわそうとした瞬間に、何か大事なものがこぼれ落ちてしまうような感覚に悩まされたりもする。それでも、あらわさずにはいられない…。
もくじ情報:序章 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える;第1章 記述することから見えてくる;第2章 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと―保育における観察と記録の一論点について;第3章 乳児から見た世界をあらわす;第4章 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性―保育者と語る中動態と主体性;第5章 子どもを撮るということ;第6章 ドキュメンテーションにおける写真とは何か―子どもをあらわす、子どもがあらわす、子どもとあらわす;第7章 子どもの声が聴こえてくるとき;第8章 「声」からはじまる保育―あらわれる子どもと私の関係のなかで;終章 「子どもをあらわす」ことで見えてくること
著者プロフィール
青山 誠(アオヤマ マコト)
社会福祉法人東香会理事(保育統括)。保育者
青山 誠(アオヤマ マコト)
社会福祉法人東香会理事(保育統括)。保育者
もくじ情報:序章 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える;第1章 記述することから見えてくる;第2章 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと―保育における観察と記録の一論点について;第3章 乳児から見た世界をあらわす;第4章 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性―保育…(続く)
もくじ情報:序章 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える;第1章 記述することから見えてくる;第2章 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと―保育における観察と記録の一論点について;第3章 乳児から見た世界をあらわす;第4章 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性―保育者と語る中動態と主体性;第5章 子どもを撮るということ;第6章 ドキュメンテーションにおける写真とは何か―子どもをあらわす、子どもがあらわす、子どもとあらわす;第7章 子どもの声が聴こえてくるとき;第8章 「声」からはじまる保育―あらわれる子どもと私の関係のなかで;終章 「子どもをあらわす」ことで見えてくること