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出版社名:ベースボール・マガジン社
出版年月:2025年3月
ISBN:978-4-583-11753-9
186P 19cm
一心不乱 埼玉を変えた闘将の45年間
本多利治/著
組合員価格 税込 1,672
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内容紹介・もくじなど
埼玉の強豪・春日部共栄高野球部を率いて45年。本多利治が2025年3月31日限りで監督を勇退する。選手時代に高知高で内野手として甲子園3回出場、75年センバツでは全国優勝した。春日部共栄高の野球部が創部した80年、22歳の若さで監督就任。91年に初のセンバツ出場を果たし、93年夏の甲子園では準優勝を成し遂げた。春夏通算7回の甲子園出場で10勝を挙げた名将は、人情味あふれる指導で知られ、高校生の自主性を重んじる指導を先がけて意識してきた。その指導ルーツに迫る。
もくじ情報:第1章 指導方針(新設校で指揮を執って45年 指導者人生を長く続けられた理由;「この学校に入りたい」という想いを重視 集まっ…(続く
埼玉の強豪・春日部共栄高野球部を率いて45年。本多利治が2025年3月31日限りで監督を勇退する。選手時代に高知高で内野手として甲子園3回出場、75年センバツでは全国優勝した。春日部共栄高の野球部が創部した80年、22歳の若さで監督就任。91年に初のセンバツ出場を果たし、93年夏の甲子園では準優勝を成し遂げた。春夏通算7回の甲子園出場で10勝を挙げた名将は、人情味あふれる指導で知られ、高校生の自主性を重んじる指導を先がけて意識してきた。その指導ルーツに迫る。
もくじ情報:第1章 指導方針(新設校で指揮を執って45年 指導者人生を長く続けられた理由;「この学校に入りたい」という想いを重視 集まってきた選手たちを鍛えて戦う ほか);第2章 学生時代(“本多利治”を作った家庭環境と 人生を大きく変えた恩師との出会い;寮生活を通して自覚が芽生える 土台作りの大切さを学んだ中学時代 ほか);第3章 自主自律(ゼロから作り上げたチームの土台 嫌われる覚悟を持って子どもを育てる;意識が高まってつかんだ甲子園出場 歴代最強チームが身に付けた「底力」 ほか);第4章 文武両道(最後まで諦めない姿勢が奇跡を生んだ 2005年と2014年の逆転劇;いかに子どもの心を立て直していくか 過去の不祥事とメンタルトレーニング ほか);第5章 人材育成(ここ数年で意識してきた後進の育成 33年間ともに歩んだ信頼できる相棒;選手一人ひとりに目を向けて得たもの 将来の指導者には教育者であってほしい ほか)
著者プロフィール
本多 利治(ホンダ トシハル)
1957年(昭32)9月30日生まれ、高知県中村市(現・四万十市)出身。高知高で3度甲子園に出場し、3年時には主将を務め同春に全国優勝。日体大へ進学し、野球部主将を務めた。80年の春日部共栄高校の創立とともに、22歳で同校野球部の監督就任。春夏合計7度、甲子園に出場し、93年夏は準Vを成し遂げた。プロ野球(NPB)へ送り出した教え子は14人を数える。2025年3月31日限りで監督を退いた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
本多 利治(ホンダ トシハル)
1957年(昭32)9月30日生まれ、高知県中村市(現・四万十市)出身。高知高で3度甲子園に出場し、3年時には主将を務め同春に全国優勝。日体大へ進学し、野球部主将を務めた。80年の春日部共栄高校の創立とともに、22歳で同校野球部の監督就任。春夏合計7度、甲子園に出場し、93年夏は準Vを成し遂げた。プロ野球(NPB)へ送り出した教え子は14人を数える。2025年3月31日限りで監督を退いた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)