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出版社名:新教出版社
出版年月:2025年11月
ISBN:978-4-400-21349-9
ツィンツェンドルフ
エーリヒ・バイロイタ 梅田與四男
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内容紹介・もくじなど
第一人者による最良の入門的評伝。ツィンツェンドルフ伯爵(1700‐1760)は、ドイツの有力貴族の子として生まれ、宮廷顧問官として活躍しつつ、モラヴィアの宗教難民を保護し、ヘルンフート兄弟団を設立した。自らもヨーロッパ諸国をはじめアメリカ大陸でも伝道に献身。神秘主義と正統ルター派神学の両者を継承し、数多くの賛美歌を作詞し、民衆のための〈心の神学〉を唱道した。本書は豊富な図版と共にその生涯を描く。
もくじ情報:われはツィンツェンドルフという者なり;極めて巧みな手にゆだねられて;厳しい寄宿学校教育での扱いにくい生徒;反抗的な学生;貴族旅行と若き伯爵夫人たち;宮廷顧問官はドレスデンで嵐の道を行く;オ…(続く
第一人者による最良の入門的評伝。ツィンツェンドルフ伯爵(1700‐1760)は、ドイツの有力貴族の子として生まれ、宮廷顧問官として活躍しつつ、モラヴィアの宗教難民を保護し、ヘルンフート兄弟団を設立した。自らもヨーロッパ諸国をはじめアメリカ大陸でも伝道に献身。神秘主義と正統ルター派神学の両者を継承し、数多くの賛美歌を作詞し、民衆のための〈心の神学〉を唱道した。本書は豊富な図版と共にその生涯を描く。
もくじ情報:われはツィンツェンドルフという者なり;極めて巧みな手にゆだねられて;厳しい寄宿学校教育での扱いにくい生徒;反抗的な学生;貴族旅行と若き伯爵夫人たち;宮廷顧問官はドレスデンで嵐の道を行く;オーバーラウジッツにおけるツィンツェンドルフによる紛争の火種;田舎風のえり抜きの人々の来訪と独特な町の誕生;全世界におよぶ関与;皇帝の勘気―新たな住居;ヨーロッパをくまなく;アメリカにおいて;独創的な時代?;ロンドンでの六年間とドイツへの帰還;年表;将来への道;ツィンツェンドルフの言葉;教育に関するツィンツェンドルフの考え;一八七〇年のグナーデンフライにおけるクリスマス;証言
著者プロフィール
バイロイター,エーリヒ(バイロイター,エーリヒ)
1904年5月オーバーレズラウで、誕生。26年ライプツィヒ大学で神学を学び、32年、学業終了し牧師となり、大戦後旧東ドイツ下、ザクセンのシュトゥルツァの牧師に就任。51年、ライプツィヒ大学から神学博士号が授与され、2年後、教授資格を取得し教会史の非常勤講師に任命されるも、56年まで牧師職を続けた。旧東ドイツの情況下で大学講座への招聘を阻止され、62年、ライプツィヒを離れ、西ドイツのエアランゲン大学で教会史の私講師、翌63年、エアランゲン=ニュルンベルク大学神学部教会史の員外教授となり、68年、職を辞し、ミュンヘン大学の客員教授となった。87年、…(続く
バイロイター,エーリヒ(バイロイター,エーリヒ)
1904年5月オーバーレズラウで、誕生。26年ライプツィヒ大学で神学を学び、32年、学業終了し牧師となり、大戦後旧東ドイツ下、ザクセンのシュトゥルツァの牧師に就任。51年、ライプツィヒ大学から神学博士号が授与され、2年後、教授資格を取得し教会史の非常勤講師に任命されるも、56年まで牧師職を続けた。旧東ドイツの情況下で大学講座への招聘を阻止され、62年、ライプツィヒを離れ、西ドイツのエアランゲン大学で教会史の私講師、翌63年、エアランゲン=ニュルンベルク大学神学部教会史の員外教授となり、68年、職を辞し、ミュンヘン大学の客員教授となった。87年、業績により連邦功労十字勲章で表彰された。2003年1月、98歳で生涯を閉じた