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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
後藤 新平(ゴトウ シンペイ)
1857‐1929。水沢藩(現・岩手県奥州市)の医家に生まれる。福島の須賀川医学校で医学を学び、76年、愛知県病院に赴任。80年には弱冠23歳で同病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局技師、ドイツ留学後同局長。相馬事件に連座したため衛生局を辞すも、陸軍検疫部にて日清戦争帰還兵の検疫に驚異的手腕を発揮し、衛生局長に復す。1898年、総督児玉源太郎のもと台湾民政局長(後に民政長官)に抜擢され、足かけ9年にわたり台湾近代化に努める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 後藤 新平(ゴトウ シンペイ)
1857‐1929。水沢藩(現・岩手県奥州市)の医家に生まれる。福島の須賀川医学校で医学を学び、76年、愛知県病院に赴任。80年には弱冠23歳で同病院長兼愛知医学校長に。板垣退助の岐阜遭難事件に駆けつけ名を馳せる。83年内務省衛生局技師、ドイツ留学後同局長。相馬事件に連座したため衛生局を辞すも、陸軍検疫部にて日清戦争帰還兵の検疫に驚異的手腕を発揮し、衛生局長に復す。1898年、総督児玉源太郎のもと台湾民政局長(後に民政長官)に抜擢され、足かけ9年にわたり台湾近代化に努める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:序 日本近代都市計画の父;1 後藤新平のことば;2 後藤新平「都市デザイン」を読む―識者からのコメント(後藤新平の都市論―四つの視点;後藤新平の「ウルバニズム」;都市衛生と文化;後藤新平の公の視点);3 台湾・満洲の都市デザイン(後藤新平の台湾ランドスケープ・デザイン;後藤新平と満鉄が造った都市);4 後藤新平の都市デザイン論(都市計画と自治の精神(一九二一年);東京市政要綱(一九二一年);帝都復興の議(一九二三年);復興の過去、現在および将来(一九二四年));解説…(続く)
もくじ情報:序 日本近代都市計画の父;1 後藤新平のことば;2 後藤新平「都市デザイン」を読む―識者からのコメント(後藤新平の都市論―四つの視点;後藤新平の「ウルバニズム」;都市衛生と文化;後藤新平の公の視点);3 台湾・満洲の都市デザイン(後藤新平の台湾ランドスケープ・デザイン;後藤新平と満鉄が造った都市);4 後藤新平の都市デザイン論(都市計画と自治の精神(一九二一年);東京市政要綱(一九二一年);帝都復興の議(一九二三年);復興の過去、現在および将来(一九二四年));解説 後藤新平・都市論の系譜