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内容紹介・もくじなど
内容紹介:94歳になった「東北のマザー」、〈森のイスキア〉佐藤初女さんが、生涯を通じて伝えたいことのすべて──。四季の風景、お料理、真実の姿とともに綴られる最期のメッセージ。至福の写真エッセイ。
“東北のマザー”が、生涯をかけて伝えたいことのすべて。森のイスキア・佐藤初女さん、最期のメッセージ66。 もくじ情報:春 いのち受け容れるとき;夏 いのち生い立つとき;秋 いのち響きあうとき;冬 いのち透きとおるとき 内容紹介:94歳になった「東北のマザー」、〈森のイスキア〉佐藤初女さんが、生涯を通じて伝えたいことのすべて──。四季の風景、お料理、真実の姿とともに綴られる最期のメッセージ。至福の写真エッセイ。
“東北のマザー”が、生涯をかけて伝えたいことのすべて。森のイスキア・佐藤初女さん、最期のメッセージ66。 もくじ情報:春 いのち受け容れるとき;夏 いのち生い立つとき;秋 いのち響きあうとき;冬 いのち透きとおるとき 著者プロフィール
佐藤 初女(サトウ ハツメ)
1921年10月3日、青森市生まれ。小学校教員、弘前染色工房を経て83年、“弘前イスキア”を、92年、“森のイスキア”を開設。迷い、疲れ、救いを求めて訪れる人に食事を供し寄り添うことで、多くの人々の再生のきっかけとなってきた。その活動は、95年、ダライ・ラマ法王らとともに出演した映画『地球交響曲第二番』(龍村仁監督)で広く知られるようになる。2016年2月1日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 佐藤 初女(サトウ ハツメ)
1921年10月3日、青森市生まれ。小学校教員、弘前染色工房を経て83年、“弘前イスキア”を、92年、“森のイスキア”を開設。迷い、疲れ、救いを求めて訪れる人に食事を供し寄り添うことで、多くの人々の再生のきっかけとなってきた。その活動は、95年、ダライ・ラマ法王らとともに出演した映画『地球交響曲第二番』(龍村仁監督)で広く知られるようになる。2016年2月1日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
“東北のマザー”が、生涯をかけて伝えたいことのすべて。
森のイスキア・佐藤初女さん、最期のメッセージ+フォトブック。
――今、この場所でいのち尽きるまで――私は「今」を生きています。
【内容】
多様なものが
多様なまま響きあい
ともに生きる。
それがいのちの摂理です。(「響きあう」より)
「食はいのち」と、悩み、疲れ、重荷を背負って訪れる人々に
手作りの食事をふるまい、ただ寄り添う――
青森県弘前市。岩木山のふもとに佇む小さな建物
〈森のイスキア〉での活動を中心に、いのちの大切さを伝える講演会や
おむすび講習会など…(続く)
“東北のマザー”が、生涯をかけて伝えたいことのすべて。
森のイスキア・佐藤初女さん、最期のメッセージ+フォトブック。
――今、この場所でいのち尽きるまで――私は「今」を生きています。
【内容】
多様なものが
多様なまま響きあい
ともに生きる。
それがいのちの摂理です。(「響きあう」より)
「食はいのち」と、悩み、疲れ、重荷を背負って訪れる人々に
手作りの食事をふるまい、ただ寄り添う――
青森県弘前市。岩木山のふもとに佇む小さな建物
〈森のイスキア〉での活動を中心に、いのちの大切さを伝える講演会や
おむすび講習会などで世界中から求められてきた佐藤初女さん。
「いのちをいただく」「揺れてもいい」「動の祈り」「もっとも尊いこと」
「ちょっとお休み」「ことばを超えて」「愛する」「透明になる」「今を生きる」……
去る2月1日、天に召された初女さんが、人生を通じて伝え続けていらしたこと、
多くの人々の救いとなってきたお心を66の短いメッセージとし、
20年来の交流がある写真家・岸圭子さんの美しいカラー写真とともにまとめました。
四季折々、自然豊かな〈森のイスキア〉でだけでなく、
ご自宅や全国の講演先でなど、常に人のために動き働いてこられた
“東北のマザー”の真実の姿と、尊い活動の軌跡を伝えるメッセージ+フォトブックです。