|
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
トレチヤコフ,セルゲイ(トレチヤコフ,セルゲイ)
1892‐1937。現在のラトヴィア出身の詩人、ルポルタージュ作家、劇作家、映画脚本家、写真家、文芸理論家。モスクワ大学在学中の1913年に、未来派グループ〈詩の中二階〉に参加、詩の発表を始める。内戦期には極東やシベリアで詩人として活動する傍ら、筆名で政治コラムを新聞に寄稿した。22年秋にモスクワに戻り、中心メンバーとして雑誌『レフ』の発行に携わりながら、メイエルホリドやエイゼンシテインらの演出作品に戯曲を提供。24年から25年にかけて中国に滞在、戯曲『吼えろ、中国!』など中国を題材にした作品を多数著す。映画産業との関係も深く、『戦艦ポチョムキ…( ) トレチヤコフ,セルゲイ(トレチヤコフ,セルゲイ)
1892‐1937。現在のラトヴィア出身の詩人、ルポルタージュ作家、劇作家、映画脚本家、写真家、文芸理論家。モスクワ大学在学中の1913年に、未来派グループ〈詩の中二階〉に参加、詩の発表を始める。内戦期には極東やシベリアで詩人として活動する傍ら、筆名で政治コラムを新聞に寄稿した。22年秋にモスクワに戻り、中心メンバーとして雑誌『レフ』の発行に携わりながら、メイエルホリドやエイゼンシテインらの演出作品に戯曲を提供。24年から25年にかけて中国に滞在、戯曲『吼えろ、中国!』など中国を題材にした作品を多数著す。映画産業との関係も深く、『戦艦ポチョムキン』の字幕を担当したことでも知られる。27年創刊の『新レフ』でも中心的な役割を担い、広くルポルタージュへと活動の軸足を移す。30年から31年にかけてドイツ、デンマーク、オーストリアに滞在、ブレヒトやピスカートアら当地の左翼的な芸術家たちと友誼を結び、影響を与えた。日本のスパイ容疑で37年にモスクワで逮捕・銃殺される |
十月革命と内戦を経て、本格的にソ連邦が動きだしていた1920年代半ばのモスクワ。ネップ期で活況を呈す都市部には、新たな生活に参画すべく人びとが大量に流入していた。主人公のミルダや登場人物たちが暮らすのは、ひとつの区画をいくつもの世帯で共有するソ連式の共同住宅。女性共産党員であるミルダは、女性の社会進出を阻害する「子どもの問題」を解消すべく、住宅に付属する新しいタイプの託児所の創設に奮闘する。そうしたさなか、風貌はときに男性に間違えられ、色恋にはまったく関…(続く)
十月革命と内戦を経て、本格的にソ連邦が動きだしていた1920年代半ばのモスクワ。ネップ期で活況を呈す都市部には、新たな生活に参画すべく人びとが大量に流入していた。主人公のミルダや登場人物たちが暮らすのは、ひとつの区画をいくつもの世帯で共有するソ連式の共同住宅。女性共産党員であるミルダは、女性の社会進出を阻害する「子どもの問題」を解消すべく、住宅に付属する新しいタイプの託児所の創設に奮闘する。そうしたさなか、風貌はときに男性に間違えられ、色恋にはまったく関心がないミルダも、あることをきっかけに「子どもがほしい」という欲望をもっている自分に気づく。ミルダは優生学的思想に基づき、良質な精子を提供できるだろうとの見立てのもと、優秀なプロレタリアートのヤコフを誘う。「私は夫はいらないんです。ほしいのは赤ん坊なの。私にはあなた自身は必要なくて。私に必要なのは、あなたの精子」―共産主義社会にあるべき「家族」像を議論する、問題含みの討論劇!