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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
カントロヴィッチ,エルンスト(カントロヴィッチ,エルンスト)
1895‐1963。1895年、ドイツ領ポーゼン(現在のポーランドのポズナニ)に生まれる。第一次大戦では祖国のために進んで志願兵となり、戦後も左翼を鎮圧する軍で闘うなど、根っからのドイツの愛国主義者であった。ハイデルベルク大学での詩人ゲオルゲとの出会いは大きく、その影響下で1927年、処女作『皇帝フリードリヒ二世』を発表、1932年にはフランクフルト大学の正教授に就いた。しかし翌1933年、ヒットラー政権下でのユダヤ人公職追放に抗議し、翌年辞任、「水晶の夜」事件後にはアメリカ亡命を余儀なくされた.1939年からカリフォルニア大学バー…() カントロヴィッチ,エルンスト(カントロヴィッチ,エルンスト)
1895‐1963。1895年、ドイツ領ポーゼン(現在のポーランドのポズナニ)に生まれる。第一次大戦では祖国のために進んで志願兵となり、戦後も左翼を鎮圧する軍で闘うなど、根っからのドイツの愛国主義者であった。ハイデルベルク大学での詩人ゲオルゲとの出会いは大きく、その影響下で1927年、処女作『皇帝フリードリヒ二世』を発表、1932年にはフランクフルト大学の正教授に就いた。しかし翌1933年、ヒットラー政権下でのユダヤ人公職追放に抗議し、翌年辞任、「水晶の夜」事件後にはアメリカ亡命を余儀なくされた.1939年からカリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとり、反コミュニズムの嵐に巻き込まれた1950年代、プリンストン大学高等研究所の教授になった。1963年歿 |
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もくじ情報:中世政治思想における「祖国のために死ぬこと」;国家の神秘―絶対主義の構成概念とその中世後期の起源;「キリスト」と「国庫」;法学の影響下での王権;ダンテの「ふたつの太陽」;芸術家の主権―法の格言とルネサンス期の芸術理論についての覚え書
もくじ情報:中世政治思想における「祖国のために死ぬこと」;国家の神秘―絶対主義の構成概念とその中世後期の起源;「キリスト」と「国庫」;法学の影響下での王権;ダンテの「ふたつの太陽」;芸術家の主権―法の格言とルネサンス期の芸術理論についての覚え書