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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
安藤 宏(アンドウ ヒロシ)
1958年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院人文科学研究科博士課程中退。同文学部助手を経て、上智大学文学部、東京大学大学院人文社会系研究科/文学部で27年間教鞭を執る。現在、東京大学名誉教授。専門は日本近代文学。『近代小説の表現機構』で博士(文学)を取得。太宰治の研究で知られ、2024年『太宰治論』(東京大学出版会)で日本学士院賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 安藤 宏(アンドウ ヒロシ)
1958年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院人文科学研究科博士課程中退。同文学部助手を経て、上智大学文学部、東京大学大学院人文社会系研究科/文学部で27年間教鞭を執る。現在、東京大学名誉教授。専門は日本近代文学。『近代小説の表現機構』で博士(文学)を取得。太宰治の研究で知られ、2024年『太宰治論』(東京大学出版会)で日本学士院賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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小説はいかにしてみずから「小説」であることを騙りうるのか。小説は「小説」と銘打たれているから小説なのではない。小説もまたみずから「小説」であろうと精一杯に努め、これをよそおうがゆえに、はじめて「小説」として認知される。小説が小説たろうとするための“よそおい”や“みぶり”を「表現機構」と名付け、分析概念の核に据えて考察することで、近代小説の全体像に新たな見取り図を示す。第1部で、視点、人称、言文一致体、写実主義・個人主義などの理念、自然という概念、…(続く)
小説はいかにしてみずから「小説」であることを騙りうるのか。小説は「小説」と銘打たれているから小説なのではない。小説もまたみずから「小説」であろうと精一杯に努め、これをよそおうがゆえに、はじめて「小説」として認知される。小説が小説たろうとするための“よそおい”や“みぶり”を「表現機構」と名付け、分析概念の核に据えて考察することで、近代小説の全体像に新たな見取り図を示す。第1部で、視点、人称、言文一致体、写実主義・個人主義などの理念、自然という概念、私小説、文壇など、複眼的な観点から論じ、第2部では個々の作品からその有用性を確認する。文学研究のあり方を実践的に問う名著。やまなし文学賞・角川源義賞受賞作。
もくじ情報:第1部(「小説家」という機構;「言文一致」のよそおい;一人称の近代;「個人主義」という幻想;反照装置としての「自然」 ほか);第2部(森〓外『舞姫』―“重霧の間”にあるもの;泉鏡花『高野聖』―三つの一人称;田山花袋『蒲団』―共犯する語り;森〓外『雁』―ロマンの生成;志賀直哉『和解』―〈不愉快〉と〈調和〉 ほか)