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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
川田 利明(カワダ トシアキ)
1963年12月8日生まれ。栃木県下都賀郡大平町(現・栃木市)出身。高校ではレスリング部に所属し、国体優勝後の82年3月に全日本プロレスに入団。同年の10月4日、冬木弘道戦でデビュー。87年には天龍源一郎の「天龍同盟」に加入し、世界最強タッグ決定リーグ戦の奮闘などで大きな注目を集める。その後、高校時代の先輩である三沢光晴と「超世代軍」を結成。ジャンボ鶴田や強豪外国人レスラーに果敢に闘いを挑む。94年、第12代三冠ヘビー級王者に。三沢、小橋建太、田上明との闘いは「四天王プロレス」と呼ばれ、全国のプロレスファンを大いに興奮させてた。現在、レスラーとしてはリングから遠…( ) 川田 利明(カワダ トシアキ)
1963年12月8日生まれ。栃木県下都賀郡大平町(現・栃木市)出身。高校ではレスリング部に所属し、国体優勝後の82年3月に全日本プロレスに入団。同年の10月4日、冬木弘道戦でデビュー。87年には天龍源一郎の「天龍同盟」に加入し、世界最強タッグ決定リーグ戦の奮闘などで大きな注目を集める。その後、高校時代の先輩である三沢光晴と「超世代軍」を結成。ジャンボ鶴田や強豪外国人レスラーに果敢に闘いを挑む。94年、第12代三冠ヘビー級王者に。三沢、小橋建太、田上明との闘いは「四天王プロレス」と呼ばれ、全国のプロレスファンを大いに興奮させてた。現在、レスラーとしてはリングから遠ざかっているが、2018年からは自身初のプロデュース興行となる「Holy War」を開催。プロレス界の発展に尽力している。10年6月12日、ラーメンと鶏の唐揚げを看板料理に、自身のニックネームにちなんだ「麺ジャラスK」を開店(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
ラーメン屋は「四天王プロレス」ばりに過酷な世界だった―!1990年代、三沢光晴、小橋建太、田上明との「四天王プロレス」で全日本プロレスの黄金期を支えた「デンジャラスK」ことプロレスラー・川田…(続く)
ラーメン屋は「四天王プロレス」ばりに過酷な世界だった―!1990年代、三沢光晴、小橋建太、田上明との「四天王プロレス」で全日本プロレスの黄金期を支えた「デンジャラスK」ことプロレスラー・川田利明。2010年にラーメン屋「麺ジャラスK」を開店し、10年続くラーメン屋は1割といわれる業界で14年過ごしてきた。「ラーメン屋は絶対にやらないほうがいい」と語る川田が、現在進行形の「地獄の日々」を赤裸々に語る。
もくじ情報:第1章 「デンジャラスK」が「麺ジャラスK」に“転職”した理由(セカンドキャリアなんて一度も考えたことがなかった;ひとりで厨房を回す術は高校時代に身に付けた ほか);第2章 ラーメン屋は四天王プロレスばりに過酷な世界だった!(別にラーメン屋じゃなくてもよかった!?俺流セカンドキャリアのスタート;絶対に真似をしてはいけない“俺流”物件選びで優先したものは? ほか);第3章 そして、俺はベンツを3台、スープに溶かした…(オープンしてから1年後…あそこがリアルな「やめ時」だった;「旨い麺を出せば客は来る!」そんな考え方が赤字を膨らませた ほか);第4章 個人経営店の難敵!ラベリング効果と大手チェーン店の奇策(10年続くラーメン屋はたったの1割!―3年以内に8割の店が廃業するサバイバル業界;たかがラーメン、されどラーメン―会社は絶対に辞めないほうがいい「ノビノビ」の意味を履き違えるな! ほか);第5章 それでもラーメン屋になりたい人に教える「俺だけの王道」辛口10箇条!(初期投資は「回収できない」ものとして腹を括れ!;新規オープン時でも不格好な接客はしてはいけない! ほか)