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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
小野田 寛郎(オノダ ヒロオ)
大正11年(1922)3月、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)春、旧制海南中学を卒業。貿易商社に就職、中国漢口(現在の武漢)支店勤務。昭和17年(1942)12月、和歌山歩兵第61連隊入隊、昭和19年(1944)1月、久留米第一予備士官学校入校。同年9月、陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、同年12月フィリピン戦線へ。以後30年、作戦解除命令を受けられないまま任務遂行。昭和49年(1974)2月、鈴木紀夫氏と遭遇、同年3月、祖国に生還。昭和50年(1975)春、ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。昭和59年(1984)「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャ…( ) 小野田 寛郎(オノダ ヒロオ)
大正11年(1922)3月、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)春、旧制海南中学を卒業。貿易商社に就職、中国漢口(現在の武漢)支店勤務。昭和17年(1942)12月、和歌山歩兵第61連隊入隊、昭和19年(1944)1月、久留米第一予備士官学校入校。同年9月、陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、同年12月フィリピン戦線へ。以後30年、作戦解除命令を受けられないまま任務遂行。昭和49年(1974)2月、鈴木紀夫氏と遭遇、同年3月、祖国に生還。昭和50年(1975)春、ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。昭和59年(1984)「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャンプ「小野田自然塾」を開く。平成26年(2014)1月、死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:ブラジルの日々;三十年目の投降命令;フィリピン戦線へ;ルバング島での戦闘;密林の「残置諜者」;「救出」は米軍の謀略工作だ;終戦二十八年目、小塚一等兵の“戦死”;たった一人の任務遂行;帰還、狂騒と虚脱と;生きる;戦後50年と小野田元少尉(三枝貢);小野田さんの思い出(斎藤充功)
もくじ情報:ブラジルの日々;三十年目の投降命令;フィリピン戦線へ;ルバング島での戦闘;密林の「残置諜者」;「救出」は米軍の謀略工作だ;終戦二十八年目、小塚一等兵の“戦死”;たった一人の任務遂行;帰還、狂騒と虚脱と;生きる;戦後50年と小野田元少尉(三枝貢);小野田さんの思い出(斎藤充功)