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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
斎藤 隆夫(サイトウ タカオ)
1870年(明治3)、兵庫県に生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業、弁護士となり、渡米してエール大学に学ぶ。1902年(明治35)以降、衆議院議員当選十三回。二・二六事件直後の特別議会で粛軍演説を行い、また40年(昭和15)2月、日中戦争に関する質問演説を行って大陸政策を批判し、そのため圧倒的多数の投票により議員を除名された。戦後は第一次吉田内閣、片山内閣の国務大臣となる。49年(昭和24)10月死去、七十九歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 斎藤 隆夫(サイトウ タカオ)
1870年(明治3)、兵庫県に生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業、弁護士となり、渡米してエール大学に学ぶ。1902年(明治35)以降、衆議院議員当選十三回。二・二六事件直後の特別議会で粛軍演説を行い、また40年(昭和15)2月、日中戦争に関する質問演説を行って大陸政策を批判し、そのため圧倒的多数の投票により議員を除名された。戦後は第一次吉田内閣、片山内閣の国務大臣となる。49年(昭和24)10月死去、七十九歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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もくじ情報:上京し、弁護士となる;アメリカに留学;衆議員議員に初当選;立憲同志会結党のころ;無念の内閣不信任案提出;議会で謝罪文を朗読;続けて二児を失う;利あらず落選;関東大震災;議席を回復〔ほか〕
もくじ情報:上京し、弁護士となる;アメリカに留学;衆議員議員に初当選;立憲同志会結党のころ;無念の内閣不信任案提出;議会で謝罪文を朗読;続けて二児を失う;利あらず落選;関東大震災;議席を回復〔ほか〕