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出版社名:河出書房新社
出版年月:2025年7月
ISBN:978-4-309-42203-9
317P 15cm
大日本帝国最後の四か月 終戦内閣“懐刀”の証言/河出文庫 さ34-1
迫水久常/著
組合員価格 税込 1,045
(通常価格 税込 1,100円)
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内容紹介・もくじなど
内容紹介:第一章 踏み出した終戦への第一歩陛下終戦の意図を表明される国力の調査を命じた鈴木首相極秘に付された調査結果戦争指導の基本大綱決まる第一回の御前会議開かれる広田元総理がソ連大使に接触第二章 鈴木終戦内閣ついに成立内閣を投げ出した小磯国昭大将鈴木貫太郎固辞して受けず卿に組閣を命じるとのおことば岡田啓介組閣本部へ飛ぶ阿南入閣に対する陸軍の三条件海相留任を強引に決める東京駅でつかまえた豊田貞次郎東郷茂徳ついに外相を引き受ける皇太后涙ながらに首相を励まさる調子の高かった首相談話昭和十八年夏のできごとあわただしくなった重臣連の動き第三章 陸海軍首脳と議会への対策不仲の陸海軍をまとめる体験談で説得…(続く
内容紹介:第一章 踏み出した終戦への第一歩陛下終戦の意図を表明される国力の調査を命じた鈴木首相極秘に付された調査結果戦争指導の基本大綱決まる第一回の御前会議開かれる広田元総理がソ連大使に接触第二章 鈴木終戦内閣ついに成立内閣を投げ出した小磯国昭大将鈴木貫太郎固辞して受けず卿に組閣を命じるとのおことば岡田啓介組閣本部へ飛ぶ阿南入閣に対する陸軍の三条件海相留任を強引に決める東京駅でつかまえた豊田貞次郎東郷茂徳ついに外相を引き受ける皇太后涙ながらに首相を励まさる調子の高かった首相談話昭和十八年夏のできごとあわただしくなった重臣連の動き第三章 陸海軍首脳と議会への対策不仲の陸海軍をまとめる体験談で説得に乗り出した首相大きな意味をもつ首相の説示第八十七臨時帝国議会開かれる問題になった太平洋の思い出最悪の事態に追いこまれた議会首相不本意ながら前言を取消す米内海相辞意をほのめかす第四章 日本を取巻く内外の情勢最後の決戦を挑んだ連合艦隊沖縄守備軍ついに全滅すドイツ屈伏後の措置要綱決まる大きなショックを受けた閣僚たち皇居炎上に涙を流した首相決まっていたソ連の対日戦参加ソ連への特使派遣を決める回答をはぐらかすソ連首脳部内閣を動揺させた国民義勇隊問題総理のはかりごとの深さ兵器は残っていなかったポツダム宣言の全文発表さる第五章 興亡を賭けた八日間原子爆弾広島市に投下さる太田文相総辞職論を持ち出す胸に突き刺さる陛下のお言葉ポツダム宣言受諾の準備成るなかなかこない連合国側の返事問題になったサブジェクト・ツー阿南陸相の腹芸に感激する東郷外相再照会論を蹴る海外向け放送に怒った将校たち苦心した両総長の花押第六章 最後の御前会議みんなが泣いた陛下のおことば堪えがたきを耐えよう終戦詔書の草案をつくる改められた詔書の字句時運派の政治家にはなるないとまごいにきた阿南陸相陛下マイクの前に立たれる第七章 ついに実現した終戦公式の終戦は八月十四日午後十一時機関銃の音で起こされる皇居で録音盤争奪事件起こるすべてが終わったあとの脱力感最後の仕事の放送原稿を書く軍に追われたさすらいの日々あとがき解説 「革新官僚」迫水久常の戦中と戦後--悠久なる国家を求めて 片山杜秀
本土決戦か、終戦か。昭和二十年四月の鈴木貫太郎内閣発足から八月十五日に至る四か月間、昭和天皇、閣僚、軍人、官僚たちは何を目指し、いかに動いたのか。組閣の難航、沖縄戦の敗北、対ソ和平工作の失敗、ポツダム宣言発表、原子爆弾投下、そして最後の御前会議へ…。時の内閣書記官長が激動の日々を克明に綴った、終戦史の一級資料。
もくじ情報:第一章 踏み出した終戦への第一歩;第二章 鈴木終戦内閣ついに成立;第三章 陸海軍首脳と議会への対策;第四章 日本を取巻く内外の情勢;第五章 興亡を賭けた八日間;第六章 最後の御前会議;第七章 ついに実現した終戦
著者プロフィール
迫水 久常(サコミズ ヒサツネ)
1902年東京生まれ。東京帝国大学法学部卒。大蔵省入省後、二・二六事件当時の岡田啓介内閣の首相秘書官、日本の終戦を決めた鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長を務める。戦後は公職追放の後、衆議院議員、転じて参議院議員(全国区)となり、池田勇人内閣の経済企画庁長官、郵政大臣を歴任。1977年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
迫水 久常(サコミズ ヒサツネ)
1902年東京生まれ。東京帝国大学法学部卒。大蔵省入省後、二・二六事件当時の岡田啓介内閣の首相秘書官、日本の終戦を決めた鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長を務める。戦後は公職追放の後、衆議院議員、転じて参議院議員(全国区)となり、池田勇人内閣の経済企画庁長官、郵政大臣を歴任。1977年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)