|
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
加藤 勝美(カトウ カツミ)
1937(昭和12)年7月10日、秋田市の時計職人の子として生まれる。四人の姉兄の末っ子。高校二年の夏、重度の肺浸潤と診断されて休学、自宅で二年余り療養生活。三年遅れて復学、1959年卒業、東京で一浪。五九・十一・二七の全学連国会突入事件のラジオ報道を下宿の部屋で聞く。日本の硬直したマルクス主義経済学の再生と“科学的人間観”の確立を目指し、60年、大阪市立大学経済学部入学、直ちに安保闘争の渦中に呑み込まれ、学生自治会の活動家の一人となる。学者になるつもりだったが、学者の道を断念。66年に大学を卒業、業界紙、PR誌、月刊誌などを数度にわたり転々、大阪の小出版社の編集…( ) 加藤 勝美(カトウ カツミ)
1937(昭和12)年7月10日、秋田市の時計職人の子として生まれる。四人の姉兄の末っ子。高校二年の夏、重度の肺浸潤と診断されて休学、自宅で二年余り療養生活。三年遅れて復学、1959年卒業、東京で一浪。五九・十一・二七の全学連国会突入事件のラジオ報道を下宿の部屋で聞く。日本の硬直したマルクス主義経済学の再生と“科学的人間観”の確立を目指し、60年、大阪市立大学経済学部入学、直ちに安保闘争の渦中に呑み込まれ、学生自治会の活動家の一人となる。学者になるつもりだったが、学者の道を断念。66年に大学を卒業、業界紙、PR誌、月刊誌などを数度にわたり転々、大阪の小出版社の編集長を経て、1982年にフリーとなる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:読んでくださる方たちへ;序章 哲との遭遇、初のイスラーム体験;第一章 ペシャワール会の発足;第二章 中村家の人たちと火野葦平;第三章 昆虫少年時代と赤面恐怖症;第四章 『ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民』現地からの便り・第一作 一九八九年三月初版、九二年三月増補版、石風社;特別編1 日本電波ニュース社と中村哲・ペシャワール会;第五章 『ダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』一九九三年十一月、石風社…(続く)
もくじ情報:読んでくださる方たちへ;序章 哲との遭遇、初のイスラーム体験;第一章 ペシャワール会の発足;第二章 中村家の人たちと火野葦平;第三章 昆虫少年時代と赤面恐怖症;第四章 『ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民』現地からの便り・第一作 一九八九年三月初版、九二年三月増補版、石風社;特別編1 日本電波ニュース社と中村哲・ペシャワール会;第五章 『ダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』一九九三年十一月、石風社;第六章 『医は国境を越えて』一九九九年十二月、石風社;第七章 『医者 井戸を掘る アフガン旱魃との闘い』二〇〇一年十月、石風社;第八章 『医者、用水路を拓く アフガンの大地から世界の虚構に挑む』二〇〇七年十一月、石風社;特別編2 追悼 伊藤和也さん;特別編3 故高橋修さんと農業支援活動;第九章 『医者、用水路を拓く』続き;第十章 『中村哲 思索と行動』下巻;最終章 中村哲没後のペシャワール会とアフガニスタンの現地から