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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
澤地 久枝(サワチ ヒサエ)
ノンフィクション作家。1930年9月3日、東京・青山生まれ。4歳のとき家族ぐるみで満州(中国東北部)へ移住。吉林で終戦を迎えた。1949年、中央公論社入社、経理部員として働きながら早稲田大学第二文学部(夜間)で学ぶ。卒業を機に「婦人公論」編集者に。将来を期待されていたが、28歳のときに僧帽弁狭窄症と宣告され、重い心臓病との二人三脚が始まる。1963年、編集次長をさいごに退社。以後約10年にわたり五味川純平の助手を務め、『戦争と人間』の注を執筆した。著書に『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』(日本ノンフィクション賞、1978年)ほか多数。『滄海…( ) 澤地 久枝(サワチ ヒサエ)
ノンフィクション作家。1930年9月3日、東京・青山生まれ。4歳のとき家族ぐるみで満州(中国東北部)へ移住。吉林で終戦を迎えた。1949年、中央公論社入社、経理部員として働きながら早稲田大学第二文学部(夜間)で学ぶ。卒業を機に「婦人公論」編集者に。将来を期待されていたが、28歳のときに僧帽弁狭窄症と宣告され、重い心臓病との二人三脚が始まる。1963年、編集次長をさいごに退社。以後約10年にわたり五味川純平の助手を務め、『戦争と人間』の注を執筆した。著書に『火はわが胸中にあり 忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』(日本ノンフィクション賞、1978年)ほか多数。『滄海よ眠れミッドウェー海戦の生と死』は、資料篇にあたる『記録ミッドウェー海戦』とあわせ、1986年の菊池寛賞受賞。2008年度朝日賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
昭和十七(一九四二)年六月、日本海軍が米軍に大敗したミッドウェー海戦。執念の取材で日米戦死者三四一八名の詳細を突き止め、彼らと遺族の思いを丹念にすくい上げた渾身のノンフィクション。重巡「三隈」砲塔上で割腹自殺をした小山正夫海軍大尉、死の直前に絶筆を残した重巡「最上」機関兵、日本側の最年少戦死者は十五歳の少年。[全五巻]
もくじ情報:第十五章 重巡「三隈」「最上」(羊歯相聞;ミッドウェー砲撃;…(続く)
昭和十七(一九四二)年六月、日本海軍が米軍に大敗したミッドウェー海戦。執念の取材で日米戦死者三四一八名の詳細を突き止め、彼らと遺族の思いを丹念にすくい上げた渾身のノンフィクション。重巡「三隈」砲塔上で割腹自殺をした小山正夫海軍大尉、死の直前に絶筆を残した重巡「最上」機関兵、日本側の最年少戦死者は十五歳の少年。[全五巻]
もくじ情報:第十五章 重巡「三隈」「最上」(羊歯相聞;ミッドウェー砲撃;戦場の錯誤;澤田三等水兵のブローチ;五番砲塔 ほか);エピローグ 少年の死(いとこ同士;人生十五年;海からの風)