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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
青山 俊董(アオヤマ シュンドウ)
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳の頃、長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳で得度し、愛知専門尼僧堂に入り修行。その後、駒澤大学仏教学部、同大学院、曹洞宗教化研修所を経て、39年より愛知専門尼僧堂に勤務。51年、堂長に。59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。現在、無量寺東堂も兼務。昭和54、62年、東西霊性交流の日本代表として訪欧、修道院生活を体験。昭和46、57、平成23年インドを訪問。仏跡巡拝、並びにマザー・テレサの救済活動を体験。昭和59年、平成9、17年に訪米。アメリカ各地を巡回布教する。参禅指導、講演、執筆に活躍するほか、茶道、…() 青山 俊董(アオヤマ シュンドウ)
昭和8年、愛知県一宮市に生まれる。5歳の頃、長野県塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳で得度し、愛知専門尼僧堂に入り修行。その後、駒澤大学仏教学部、同大学院、曹洞宗教化研修所を経て、39年より愛知専門尼僧堂に勤務。51年、堂長に。59年より特別尼僧堂堂長および正法寺住職を兼ねる。現在、無量寺東堂も兼務。昭和54、62年、東西霊性交流の日本代表として訪欧、修道院生活を体験。昭和46、57、平成23年インドを訪問。仏跡巡拝、並びにマザー・テレサの救済活動を体験。昭和59年、平成9、17年に訪米。アメリカ各地を巡回布教する。参禅指導、講演、執筆に活躍するほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年、女性では二人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年、曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年、曹洞宗大本山總持寺の西堂に就任する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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いづれも得法を敬重すべし、男女を論ずることなかれ。生まれではなく行いを見よというお釈迦様の教えを受けて、道元禅師が当時の仏教界の男女差別を徹底して批判した「礼拝得髄」の巻を、尼僧として生きてきた著者が語る渾身の書。
もくじ情報:一 導入(「礼拝得髄」解題;「生まれ」ではなく「行ない」を見よ;女性の出家と「八敬戒」 ほか);二 本文(正しい人生の師匠を得る;あらゆる機会を…(続く)
いづれも得法を敬重すべし、男女を論ずることなかれ。生まれではなく行いを見よというお釈迦様の教えを受けて、道元禅師が当時の仏教界の男女差別を徹底して批判した「礼拝得髄」の巻を、尼僧として生きてきた著者が語る渾身の書。
もくじ情報:一 導入(「礼拝得髄」解題;「生まれ」ではなく「行ない」を見よ;女性の出家と「八敬戒」 ほか);二 本文(正しい人生の師匠を得る;あらゆる機会を逃さずに学ぶ;我が事として受け止める ほか);三 付録(人を敬うのではなく、法を敬う;同じものを煩悩の対象とするか、学びの対象とするか;その人の過去を問わない ほか)