|
内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
小野 十三郎(オノ トオザブロウ)
1903(明治36)年大阪市生まれ。詩人。大阪文学学校初代校長。東洋大学中退。26(大正15)年、第一詩集『半分開いた窓』を刊行。33年東京から大阪に戻り、以降、39年に詩集『大阪』、43年に『風景詩抄』を刊行。戦時下、のちに『詩論』(47年)に結実する短歌的抒情の否定を核とした批評活動を展開。戦後、秋山清、岡本潤、金子光晴とともに詩誌『コスモス』を創刊。54年に大阪文学学校を創立し、91年まで校長を務める。74年、詩集『拒絶の木』で読売文学賞を受賞。77年から日本現代詩人会会長を務めた。1996(平成8)年10月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載…() 小野 十三郎(オノ トオザブロウ)
1903(明治36)年大阪市生まれ。詩人。大阪文学学校初代校長。東洋大学中退。26(大正15)年、第一詩集『半分開いた窓』を刊行。33年東京から大阪に戻り、以降、39年に詩集『大阪』、43年に『風景詩抄』を刊行。戦時下、のちに『詩論』(47年)に結実する短歌的抒情の否定を核とした批評活動を展開。戦後、秋山清、岡本潤、金子光晴とともに詩誌『コスモス』を創刊。54年に大阪文学学校を創立し、91年まで校長を務める。74年、詩集『拒絶の木』で読売文学賞を受賞。77年から日本現代詩人会会長を務めた。1996(平成8)年10月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大阪を拠点に短歌的抒情に抗して“歌と逆に歌に”詩を追求しつづけた小野十三郎。昭和の名詩「葦の地方」、教科書で親しまれる「山頂から」ほか代表詩篇二十五篇。さらに短歌に「奴隷の韻律」を見出した峻烈な批評、自伝抄「夢魔を追って」等を収めた文庫オリジナル作品集。
もくじ情報:1 詩(断崖;葦の地方;明日;山;渺かに遠く;葦の地方(五);不当に「物」が否定されたとき;ぼうせきの煙突;犬;大怪魚;一本のろうそく;ハマスゲのたぶさ;木々が芽吹くとき;雲…(続く)
大阪を拠点に短歌的抒情に抗して“歌と逆に歌に”詩を追求しつづけた小野十三郎。昭和の名詩「葦の地方」、教科書で親しまれる「山頂から」ほか代表詩篇二十五篇。さらに短歌に「奴隷の韻律」を見出した峻烈な批評、自伝抄「夢魔を追って」等を収めた文庫オリジナル作品集。
もくじ情報:1 詩(断崖;葦の地方;明日;山;渺かに遠く;葦の地方(五);不当に「物」が否定されたとき;ぼうせきの煙突;犬;大怪魚;一本のろうそく;ハマスゲのたぶさ;木々が芽吹くとき;雲も水も;山頂から;旅と滞在;雀;拒絶の木;明治のすき焼;新しい仕事;最期の木8;最期の木10;カヌーの速度で;前夜 亡き妻に;さらば始祖鳥);2 批評(「詩論」から;短歌的抒情に抗して;奴隷の韻律;奴隷の韻律;民衆侮蔑ということ;「奴隷の韻律」補遺;詩の音楽性;反逆の抒情―『中野重治詩集』;現代詩と伝統);3 回想(夢魔を追って;空飛ぶ蒸気機関車;大阪文学学校二十年;葦原の痕跡 花田清輝のこと)