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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
内山 興正(ウチヤマ コウショウ)
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 内山 興正(ウチヤマ コウショウ)
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:坐禅人の生命の群像―永平知事清規;何んのために修行するのか―難陀尊者の発心;私の働き場処に生命がゆきわたる―知事の心づかい;生命の実物で配役を生きる―〓(い)山と院主の話;解釈ではなく一体に成る―玄則禅師の懴悔;自己が自己に出逢う―楊岐禅師の発明;アタマ手放し、全体の生命を働く―休静維那の話;この行以外、行くところがない―士珪維那の大悟;生命の俺が生きる気で生きる―霊祐典座の…(続く)
もくじ情報:坐禅人の生命の群像―永平知事清規;何んのために修行するのか―難陀尊者の発心;私の働き場処に生命がゆきわたる―知事の心づかい;生命の実物で配役を生きる―〓(い)山と院主の話;解釈ではなく一体に成る―玄則禅師の懴悔;自己が自己に出逢う―楊岐禅師の発明;アタマ手放し、全体の生命を働く―休静維那の話;この行以外、行くところがない―士珪維那の大悟;生命の俺が生きる気で生きる―霊祐典座の時節因縁〔ほか〕