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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
矢吹 晋(ヤブキ ススム)
1938年福島県郡山市生まれ。県立安積高校在校時に朝河貫一を知る。1958年東京大学教養学部に入学し、第二外国語として中国語を学ぶ。1962年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社記者となり、石橋湛山の謦咳に接する。1967年アジア経済研究所研究員、1971~1973年シンガポール南洋大学客員研究員、香港大学客員研究員。1976年横浜市立大学助教授・教授を経て、2004年横浜市立大学名誉教授。21世紀中国総研ディレクター、公益財団法人東洋文庫研究員、朝河貫一博士顕彰協会会長等を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 矢吹 晋(ヤブキ ススム)
1938年福島県郡山市生まれ。県立安積高校在校時に朝河貫一を知る。1958年東京大学教養学部に入学し、第二外国語として中国語を学ぶ。1962年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社記者となり、石橋湛山の謦咳に接する。1967年アジア経済研究所研究員、1971~1973年シンガポール南洋大学客員研究員、香港大学客員研究員。1976年横浜市立大学助教授・教授を経て、2004年横浜市立大学名誉教授。21世紀中国総研ディレクター、公益財団法人東洋文庫研究員、朝河貫一博士顕彰協会会長等を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
もくじ情報:はじめに 中国を知るために中国語を学ぶ;第1部 中国の史書の読み方(笠井論文が発表された時代の風潮―本居宣長流の国粋主義;内藤史学の限界―ヒミコ=百襲姫命を比定できず;邪馬臺国を九州に追放した本居国粋主義;邪馬臺は「ヤマト」と読むのが常識;ヤマト説の証拠;混迷は内藤湖南・白鳥庫吉の「問題提起の仕方」に始まる;既知ルートは表記、畿内ヤマトまでは日数で表記;境界の尽きるところ=「統属」の範囲;笠井新也論文との出会い;佐原真『魏志倭人伝の考古学』);第2部 『日本書紀』の読み方(笠井新也の邪馬臺国論;「邪馬臺国は大和である」について;「畿内と九州との文化的政治的関係」について;「卑弥呼すなわち倭迹迹日百襲姫命論」について;「卑弥呼の冢墓と箸墓」について;『日本書紀』の読み方について);結び 中国を知ることで日本を知る