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内容紹介・もくじなど
著者プロフィール
鷲田 清一(ワシダ キヨカズ)
1949年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学文学部教授などを経て、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。専門は臨床哲学・倫理学。『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『所有論』(和辻哲郎文化賞)など著作多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 鷲田 清一(ワシダ キヨカズ)
1949年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学文学部教授などを経て、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。専門は臨床哲学・倫理学。『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『所有論』(和辻哲郎文化賞)など著作多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) |
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「きりきり痛むよりも、ぎりぎり痛むほうが、痛みは壮絶である。骨の内部にまで痛みがじかに食い込んでいる感じがする」―ぐずぐず、ちぐはぐ、ふわふわなど、私たちの身体のごく近くにある「オノマトペ」。ドイツ語で「音の絵」を意味するこの言語表現は、〈わたし〉の身体の奥深くに潜む感覚の記憶の表出であり、言語の原体ともいうべきものである。臨床哲学の第一人者である著者が自身の身体感覚を通じて語り尽くす言語論。…(続く)
「きりきり痛むよりも、ぎりぎり痛むほうが、痛みは壮絶である。骨の内部にまで痛みがじかに食い込んでいる感じがする」―ぐずぐず、ちぐはぐ、ふわふわなど、私たちの身体のごく近くにある「オノマトペ」。ドイツ語で「音の絵」を意味するこの言語表現は、〈わたし〉の身体の奥深くに潜む感覚の記憶の表出であり、言語の原体ともいうべきものである。臨床哲学の第一人者である著者が自身の身体感覚を通じて語り尽くす言語論。
もくじ情報:1 声のふるまい オノマトペのさまざまな顔(ぎりぎり;ぐずぐず;ちぐはぐ;ゆらゆら;ふわふわ;ほっこり;ぼろぼろ;なよなよ;にやにや;ねちゃねちゃ);2 音の絵 オノマトペの構造(音の絵;言葉の内臓感覚;律動と情調;感覚の越境;意味の内と外;魂の言葉 結びにかえて)