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出版社名:誠信書房
出版年月:2015年10月
ISBN:978-4-414-42866-7
191P 21cm
ケアをすることの意味 病む人とともに在ることの心理学と医療人類学
皆藤章/編・監訳 アーサー・クラインマン/著 江口重幸/著 皆藤章/著
組合員価格 税込 2,376
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現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュティーにおいてケアをすることの意義を訴える。/人間の体験における道徳的人間的な意味のある実践として経済性や合理性によっておとしめられているケアをすることについて再考を促す。
現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュティーにおいてケアをすることの意義を訴える。/人間の体験における道徳的人間的な意味のある実践として経済性や合理性によっておとしめられているケアをすることについて再考を促す。
内容紹介・もくじなど
医療人類学の世界的権威、ハーバード大学教授アーサー・クラインマンが現代におけるケアの本質を問う。貴重な来日講演(京都・東京)も収録。
もくじ情報:第1部(ひとりの心理臨床家の考える人間の生とアーサー・クラインマンの存在;21世紀における感性と主観性の変容―人類は生き残れるか;悲劇そしてケアをすること―アート(テクネー)としての医の失敗);第2部(ケアをすること―より人間らしくなるための旅;不治の病いを生きる人へのケア―ある事例を巡って;病いと人間的体験―慢性の病いとともに生きること;耐えるということ―アーサー・クラインマン);第3部(ケアをすること;道徳的・人間的体験としてのケアの実践;クライ…(続く
医療人類学の世界的権威、ハーバード大学教授アーサー・クラインマンが現代におけるケアの本質を問う。貴重な来日講演(京都・東京)も収録。
もくじ情報:第1部(ひとりの心理臨床家の考える人間の生とアーサー・クラインマンの存在;21世紀における感性と主観性の変容―人類は生き残れるか;悲劇そしてケアをすること―アート(テクネー)としての医の失敗);第2部(ケアをすること―より人間らしくなるための旅;不治の病いを生きる人へのケア―ある事例を巡って;病いと人間的体験―慢性の病いとともに生きること;耐えるということ―アーサー・クラインマン);第3部(ケアをすること;道徳的・人間的体験としてのケアの実践;クラインマンから学んだいくつかのこと―臨床人類学が医療やケアにもたらすもの)
著者プロフィール
皆藤 章(カイトウ アキラ)
1957年福井県生まれ。1979年京都大学工学部入学。京都大学教育学部転学部。1986年京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、甲南大学助教授を経て、京都大学大学院教育学研究科教授。文学博士。臨床心理士
皆藤 章(カイトウ アキラ)
1957年福井県生まれ。1979年京都大学工学部入学。京都大学教育学部転学部。1986年京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、甲南大学助教授を経て、京都大学大学院教育学研究科教授。文学博士。臨床心理士