ようこそ!
マイページ
ご利用ガイド
組合員情報の変更
メールアドレスの変更
ログイン
サイトトップ
e
フレンズトップ
すべて
本
雑誌
CD
DVD・Blu-ray
クリア
本 こだわり検索
書名
著者名
商品説明
出版社名
出版年月
―
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
年
―
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
月
以前
のみ
以降
ジャンル
選択してください
文庫
新書・選書
文芸
教養
人文
教育
芸術
児童
趣味
生活
地図・ガイド
就職・資格
語学
小学学参
中学学参
高校学参
辞典
コミック
ゲーム攻略本
エンターテイメント
日記手帳
社会
法律
経済
経営
ビジネス
理学
工学
コンピュータ
医学
看護学
薬学
ISBNコード
予約商品を表示しない
検索
クリア
本 >
人文
>
哲学・思想
>
倫理学
出版社名:岩波書店
出版年月:2022年2月
ISBN:978-4-00-061520-4
196,8P 20cm
共に在ること 会話と社交の倫理学
水谷雅彦/著
組合員価格 税込
2,277
円
(通常価格 税込 2,530円)
割引率 10%
在庫あり
生協宅配にてお届け
※ご注文が集中した場合、お届けが遅れる場合がございます。
内容紹介・もくじなど
内容紹介:ことばを交わす存在という人のありようを考えるうえで、わたしたちが依拠するコミュニケーションの理論はあまりに「目線が高い」のではないか? 言語交通の実相である「会話」と「社交」に定位して、「話しあう」ことの手前へと考察の重りを下ろしていく。人類学や社会学、言語学の成果に触発され、「共生」「平等」の手前、「共在」「対等」の倫理学に向けて思考する。
コミュニケーションとは意思の伝達でしかないのだろうか。これまでの哲学的なコミュニケーションの理論は、会話という普遍的な現象を正当に扱いえていたのだろうか。こうした問題意識にもとづいて、「対話」や「熟議」以前の、「おしゃべり」に代表される「会話」…(
続く
)
内容紹介:ことばを交わす存在という人のありようを考えるうえで、わたしたちが依拠するコミュニケーションの理論はあまりに「目線が高い」のではないか? 言語交通の実相である「会話」と「社交」に定位して、「話しあう」ことの手前へと考察の重りを下ろしていく。人類学や社会学、言語学の成果に触発され、「共生」「平等」の手前、「共在」「対等」の倫理学に向けて思考する。
コミュニケーションとは意思の伝達でしかないのだろうか。これまでの哲学的なコミュニケーションの理論は、会話という普遍的な現象を正当に扱いえていたのだろうか。こうした問題意識にもとづいて、「対話」や「熟議」以前の、「おしゃべり」に代表される「会話」と、それに支えられる「社交」についてあえて「目線を低く」して考察する。人類学や社会学、言語学の成果を踏まえつつ、「平等」「共生」の手前にある「対等」「共在」の倫理学の構築をめざす新しい試み。
もくじ情報:第1部 会話の哲学(哲学と会話―その不幸な関係;コミュニケーションは伝達ではない―コードモデルとその限界;コミュニケーションの推論モデル―関連性理論;コミュニケーションと意図の再現―デリダと言語行為論;デイヴィドソンと言語);第2部 社交の倫理学(社交の思想家たち;だれがどこで会話をするのか?;無知と寛容と信頼と;共在の倫理学へ向けて)
著者プロフィール
水谷 雅彦(ミズタニ マサヒコ)
1957年大阪市に生まれる。1979年京都大学文学部哲学科卒。1985年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。倫理学専攻。神戸大学専任講師、助教授を経て、現在、京都大学大学院文学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
水谷 雅彦(ミズタニ マサヒコ)
1957年大阪市に生まれる。1979年京都大学文学部哲学科卒。1985年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。倫理学専攻。神戸大学専任講師、助教授を経て、現在、京都大学大学院文学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
同じ著者名で検索した本
マンガで学ぶ情報倫理 わたしたちは情報化社会とどうつきあえばよいのか
水谷雅彦/著 森下恵/マンガ
コミュニケーションとは意思の伝達でしかないのだろうか。これまでの哲学的なコミュニケーションの理論は、会話という普遍的な現象を正当に扱いえていたのだろうか。こうした問題意識にもとづいて、「対話」や「熟議」以前の、「おしゃべり」に代表される「会話」…(続く)
コミュニケーションとは意思の伝達でしかないのだろうか。これまでの哲学的なコミュニケーションの理論は、会話という普遍的な現象を正当に扱いえていたのだろうか。こうした問題意識にもとづいて、「対話」や「熟議」以前の、「おしゃべり」に代表される「会話」と、それに支えられる「社交」についてあえて「目線を低く」して考察する。人類学や社会学、言語学の成果を踏まえつつ、「平等」「共生」の手前にある「対等」「共在」の倫理学の構築をめざす新しい試み。
もくじ情報:第1部 会話の哲学(哲学と会話―その不幸な関係;コミュニケーションは伝達ではない―コードモデルとその限界;コミュニケーションの推論モデル―関連性理論;コミュニケーションと意図の再現―デリダと言語行為論;デイヴィドソンと言語);第2部 社交の倫理学(社交の思想家たち;だれがどこで会話をするのか?;無知と寛容と信頼と;共在の倫理学へ向けて)