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出版社名:幻戯書房
出版年月:2024年9月
ISBN:978-4-86488-305-4
403P 19cm
不審人物 故人 自叙伝/ルリユール叢書
ブラニスラヴ・ヌシッチ/著 奥彩子/訳 田中一生/訳
組合員価格 税込
3,465
円
(通常価格 税込 3,850円)
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内容紹介・もくじなど
激動の時代のバルカンで、諷刺と喜劇で鋭い批判精神をふるった作家ブラニスラヴ・ヌシッチ―官僚制度を揶揄するゴーゴリものの喜劇『不審人物』、姓とアイデンティティの関係を問う晩年作の喜劇『故人』の本邦初訳二篇と、作家の人生喜劇を綴った「自叙伝」を収録。
激動の時代のバルカンで、諷刺と喜劇で鋭い批判精神をふるった作家ブラニスラヴ・ヌシッチ―官僚制度を揶揄するゴーゴリものの喜劇『不審人物』、姓とアイデンティティの関係を問う晩年作の喜劇『故人』の本邦初訳二篇と、作家の人生喜劇を綴った「自叙伝」を収録。
著者プロフィール
ヌシッチ,ブラニスラヴ(ヌシッチ,ブラニスラヴ)
1864‐1938。セルビア(旧ユーゴスラヴィア)の作家。ベオグラードの商家に生まれる。スメデレヴォの小学校、中学校、ベオグラードのギムナジウムを経て、ベオグラード大学校の法学部を卒業。その間、1885年にセルビア=ブルガリア戦争に義勇兵として参戦したが、卒業後まもない87年、反王朝的な風刺詩を著して投獄される。のちに外交官となり、オスマン帝国支配下のビトラ、プリシュティナ、テッサロニキの領事館に勤めた。その後教育省に移り、1900年ベオグラード国立劇場の支配人に転出。1933年にはセルビア王立アカデミー会員に選出された
ヌシッチ,ブラニスラヴ(ヌシッチ,ブラニスラヴ)
1864‐1938。セルビア(旧ユーゴスラヴィア)の作家。ベオグラードの商家に生まれる。スメデレヴォの小学校、中学校、ベオグラードのギムナジウムを経て、ベオグラード大学校の法学部を卒業。その間、1885年にセルビア=ブルガリア戦争に義勇兵として参戦したが、卒業後まもない87年、反王朝的な風刺詩を著して投獄される。のちに外交官となり、オスマン帝国支配下のビトラ、プリシュティナ、テッサロニキの領事館に勤めた。その後教育省に移り、1900年ベオグラード国立劇場の支配人に転出。1933年にはセルビア王立アカデミー会員に選出された
1864‐1938。セルビア(旧ユーゴスラヴィア)の作家。ベオグラードの商家に生まれる。スメデレヴォの小学校、中学校、ベオグラードのギムナジウムを経て、ベオグラード大学校の法学部を卒業。その間、1885年にセルビア=ブルガリア戦争に義勇兵として参戦したが、卒業後まもない87年、反王朝的な風刺詩を著して投獄される。のちに外交官となり、オスマン帝国支配下のビトラ、プリシュティナ、テッサロニキの領事館に勤めた。その後教育省に移り、1900年ベオグラード国立劇場の支配人に転出。1933年にはセルビア王立アカデミー会員に選出された
1864‐1938。セルビア(旧ユーゴスラヴィア)の作家。ベオグラードの商家に生まれる。スメデレヴォの小学校、中学校、ベオグラードのギムナジウムを経て、ベオグラード大学校の法学部を卒業。その間、1885年にセルビア=ブルガリア戦争に義勇兵として参戦したが、卒業後まもない87年、反王朝的な風刺詩を著して投獄される。のちに外交官となり、オスマン帝国支配下のビトラ、プリシュティナ、テッサロニキの領事館に勤めた。その後教育省に移り、1900年ベオグラード国立劇場の支配人に転出。1933年にはセルビア王立アカデミー会員に選出された