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学術・教養文庫その他
出版社名:新学社
出版年月:2005年6月
ISBN:978-4-7868-0092-4
330P 16cm
立原道造/津村信夫/近代浪漫派文庫 34
立原道造/著 津村信夫/著
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1,293
円
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内容紹介・もくじなど
もくじ情報:立原道造(萱草に寄す;暁と夕の詩;優しき歌;あひみてののちの;かろやかな翼のある風の歌;鮎の歌);津村信夫(愛する神の歌;戸隠の絵本;紅葉狩伝説;信州雑記)
もくじ情報:立原道造(萱草に寄す;暁と夕の詩;優しき歌;あひみてののちの;かろやかな翼のある風の歌;鮎の歌);津村信夫(愛する神の歌;戸隠の絵本;紅葉狩伝説;信州雑記)
著者プロフィール
立原 道造(タチハラ ミチゾウ)
大正3年、東京に生れる。第一高等学校在学中から口語自由律短歌、小説などを試みていたのが、昭和9年に東京帝大建築科に入学したその10月、堀辰雄らによって第二次「四季」が発刊されるのに迎えられると、詩作を専らとするようになり、優美な抒情を多くソネット形式に託して初期の同誌を一方において代表した。同12年東京帝大卒業後は、設計の卓れた才能を認められるまま建築事務所に勤務するなかで、予てから土地の風光に親しんでしばしば滞在した信州追分で得た作品を主とした「萱草に寄す」「暁と夕の詩」の二詩集を同年に刊行するが、翌年、健康に恵まれなかった身体を押して出た旅の終りに病み、同…(
続く
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立原 道造(タチハラ ミチゾウ)
大正3年、東京に生れる。第一高等学校在学中から口語自由律短歌、小説などを試みていたのが、昭和9年に東京帝大建築科に入学したその10月、堀辰雄らによって第二次「四季」が発刊されるのに迎えられると、詩作を専らとするようになり、優美な抒情を多くソネット形式に託して初期の同誌を一方において代表した。同12年東京帝大卒業後は、設計の卓れた才能を認められるまま建築事務所に勤務するなかで、予てから土地の風光に親しんでしばしば滞在した信州追分で得た作品を主とした「萱草に寄す」「暁と夕の詩」の二詩集を同年に刊行するが、翌年、健康に恵まれなかった身体を押して出た旅の終りに病み、同14年に歿する
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大正3年、東京に生れる。第一高等学校在学中から口語自由律短歌、小説などを試みていたのが、昭和9年に東京帝大建築科に入学したその10月、堀辰雄らによって第二次「四季」が発刊されるのに迎えられると、詩作を専らとするようになり、優美な抒情を多くソネット形式に託して初期の同誌を一方において代表した。同12年東京帝大卒業後は、設計の卓れた才能を認められるまま建築事務所に勤務するなかで、予てから土地の風光に親しんでしばしば滞在した信州追分で得た作品を主とした「萱草に寄す」「暁と夕の詩」の二詩集を同年に刊行するが、翌年、健康に恵まれなかった身体を押して出た旅の終りに病み、同…(続く)
大正3年、東京に生れる。第一高等学校在学中から口語自由律短歌、小説などを試みていたのが、昭和9年に東京帝大建築科に入学したその10月、堀辰雄らによって第二次「四季」が発刊されるのに迎えられると、詩作を専らとするようになり、優美な抒情を多くソネット形式に託して初期の同誌を一方において代表した。同12年東京帝大卒業後は、設計の卓れた才能を認められるまま建築事務所に勤務するなかで、予てから土地の風光に親しんでしばしば滞在した信州追分で得た作品を主とした「萱草に寄す」「暁と夕の詩」の二詩集を同年に刊行するが、翌年、健康に恵まれなかった身体を押して出た旅の終りに病み、同14年に歿する