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エッセイ
出版社名:ブックエンド
出版年月:2012年3月
ISBN:978-4-903295-77-0
173P 20cm
花森安治「きのうきょう」 社会時評集
花森安治/著
組合員価格 税込
1,485
円
(通常価格 税込 1,650円)
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昭和29,32,38年に朝日新聞に連載され、当時話題になったコラムの初単行本化。17歳時の初文章「浪人術講義」も収録。
昭和29,32,38年に朝日新聞に連載され、当時話題になったコラムの初単行本化。17歳時の初文章「浪人術講義」も収録。
内容紹介・もくじなど
昭和29年、32年、38年と朝日新聞朝刊にそれぞれ半年間毎週連載されたコラム75編を収録。
もくじ情報:昭和29(1954)年;昭和32(1957)年;昭和38(1963)年;付録 浪人術講義
昭和29年、32年、38年と朝日新聞朝刊にそれぞれ半年間毎週連載されたコラム75編を収録。
もくじ情報:昭和29(1954)年;昭和32(1957)年;昭和38(1963)年;付録 浪人術講義
著者プロフィール
花森 安治(ハナモリ ヤスジ)
1911年神戸市生まれ。旧制松江高等学校から、1934年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大学新聞の編集に携わる。卒業後、伊東胡蝶園(現在のパピリオ)宣伝部に入り佐野繁次郎に師事、広告デザインに携わる。太平洋戦争に応召するが病気除隊、敗戦後まで大政翼賛会に籍を置いて国策広告に携わる。敗戦後、社会時評、風俗評論、衣装評論家として新聞、雑誌、放送などに登場、戦後の昭和という激動の時代の暮らしや風俗を、独自の感性で語り、大胆に評論した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
花森 安治(ハナモリ ヤスジ)
1911年神戸市生まれ。旧制松江高等学校から、1934年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大学新聞の編集に携わる。卒業後、伊東胡蝶園(現在のパピリオ)宣伝部に入り佐野繁次郎に師事、広告デザインに携わる。太平洋戦争に応召するが病気除隊、敗戦後まで大政翼賛会に籍を置いて国策広告に携わる。敗戦後、社会時評、風俗評論、衣装評論家として新聞、雑誌、放送などに登場、戦後の昭和という激動の時代の暮らしや風俗を、独自の感性で語り、大胆に評論した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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もくじ情報:昭和29(1954)年;昭和32(1957)年;昭和38(1963)年;付録 浪人術講義
もくじ情報:昭和29(1954)年;昭和32(1957)年;昭和38(1963)年;付録 浪人術講義
1911年神戸市生まれ。旧制松江高等学校から、1934年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大学新聞の編集に携わる。卒業後、伊東胡蝶園(現在のパピリオ)宣伝部に入り佐野繁次郎に師事、広告デザインに携わる。太平洋戦争に応召するが病気除隊、敗戦後まで大政翼賛会に籍を置いて国策広告に携わる。敗戦後、社会時評、風俗評論、衣装評論家として新聞、雑誌、放送などに登場、戦後の昭和という激動の時代の暮らしや風俗を、独自の感性で語り、大胆に評論した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1911年神戸市生まれ。旧制松江高等学校から、1934年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学、大学新聞の編集に携わる。卒業後、伊東胡蝶園(現在のパピリオ)宣伝部に入り佐野繁次郎に師事、広告デザインに携わる。太平洋戦争に応召するが病気除隊、敗戦後まで大政翼賛会に籍を置いて国策広告に携わる。敗戦後、社会時評、風俗評論、衣装評論家として新聞、雑誌、放送などに登場、戦後の昭和という激動の時代の暮らしや風俗を、独自の感性で語り、大胆に評論した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)