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中公文庫
出版社名:中央公論新社
出版年月:2019年9月
ISBN:978-4-12-206776-9
261P 16cm
海軍応用戦術/海軍戦務/中公文庫 あ89-2
秋山真之/著 戸高一成/編
組合員価格 税込
911
円
(通常価格 税込 1,012円)
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海軍の近代化の基礎を築いた名参謀による組織論。巨大組織を効率的に運用するためのマニュアルが明らかに。前巻に続き「応用戦術」の他「海軍戦務」を収録
海軍の近代化の基礎を築いた名参謀による組織論。巨大組織を効率的に運用するためのマニュアルが明らかに。前巻に続き「応用戦術」の他「海軍戦務」を収録
内容紹介・もくじなど
「自分が最も奉公したのは戦略・戦術ではなくロジスチックス(戦務)である」。海軍という巨大組織を十分かつ効率的に運用するためのマニュアルの全貌が明らかに。前巻に続き、戦略と戦闘の関係、勝敗と戦果について述べた「海軍応用戦術」、艦隊の令達、通信、偵察、警戒といった任務の規範を示した「海軍戦務」、演習の手順を示した「同別科」を収録。
もくじ情報:海軍応用戦術(総説);海軍戦務(令達;報告及通報;通信;航行;碇泊;捜索及偵察;警戒;封鎖;陸軍の護送及揚陸掩護;給与);海軍戦務 別科(演習)
「自分が最も奉公したのは戦略・戦術ではなくロジスチックス(戦務)である」。海軍という巨大組織を十分かつ効率的に運用するためのマニュアルの全貌が明らかに。前巻に続き、戦略と戦闘の関係、勝敗と戦果について述べた「海軍応用戦術」、艦隊の令達、通信、偵察、警戒といった任務の規範を示した「海軍戦務」、演習の手順を示した「同別科」を収録。
もくじ情報:海軍応用戦術(総説);海軍戦務(令達;報告及通報;通信;航行;碇泊;捜索及偵察;警戒;封鎖;陸軍の護送及揚陸掩護;給与);海軍戦務 別科(演習)
著者プロフィール
秋山 真之(アキヤマ サネユキ)
1868(慶応4)年、愛媛県に松山藩士の子として生まれる。兄は陸軍大将秋山好古。90(明治23)年、海軍兵学校卒業。96(明治29)年、軍令部諜報課課員、97(明治30)年、アメリカに留学、アメリカ運送船『セグランサ』号に乗り組み米西戦争を視察、99(明治32)年、イギリス駐在、1900(明治33)年、帰国、軍務局第一課課員、海軍大学校教官を歴任。日露戦争では、連合艦隊兼第一艦隊参謀として、黄海海戦、日本海海戦などの作戦を担当した。14(大正3)年海軍省軍務局長となったが、17(大正6)年、病気のため中将で特命となり翌18(大正7)年死去
秋山 真之(アキヤマ サネユキ)
1868(慶応4)年、愛媛県に松山藩士の子として生まれる。兄は陸軍大将秋山好古。90(明治23)年、海軍兵学校卒業。96(明治29)年、軍令部諜報課課員、97(明治30)年、アメリカに留学、アメリカ運送船『セグランサ』号に乗り組み米西戦争を視察、99(明治32)年、イギリス駐在、1900(明治33)年、帰国、軍務局第一課課員、海軍大学校教官を歴任。日露戦争では、連合艦隊兼第一艦隊参謀として、黄海海戦、日本海海戦などの作戦を担当した。14(大正3)年海軍省軍務局長となったが、17(大正6)年、病気のため中将で特命となり翌18(大正7)年死去
同じ著者名で検索した本
海軍基本戦術/中公文庫 あ89-1
秋山真之/著 戸高一成/編
もくじ情報:海軍応用戦術(総説);海軍戦務(令達;報告及通報;通信;航行;碇泊;捜索及偵察;警戒;封鎖;陸軍の護送及揚陸掩護;給与);海軍戦務 別科(演習)
もくじ情報:海軍応用戦術(総説);海軍戦務(令達;報告及通報;通信;航行;碇泊;捜索及偵察;警戒;封鎖;陸軍の護送及揚陸掩護;給与);海軍戦務 別科(演習)
1868(慶応4)年、愛媛県に松山藩士の子として生まれる。兄は陸軍大将秋山好古。90(明治23)年、海軍兵学校卒業。96(明治29)年、軍令部諜報課課員、97(明治30)年、アメリカに留学、アメリカ運送船『セグランサ』号に乗り組み米西戦争を視察、99(明治32)年、イギリス駐在、1900(明治33)年、帰国、軍務局第一課課員、海軍大学校教官を歴任。日露戦争では、連合艦隊兼第一艦隊参謀として、黄海海戦、日本海海戦などの作戦を担当した。14(大正3)年海軍省軍務局長となったが、17(大正6)年、病気のため中将で特命となり翌18(大正7)年死去
1868(慶応4)年、愛媛県に松山藩士の子として生まれる。兄は陸軍大将秋山好古。90(明治23)年、海軍兵学校卒業。96(明治29)年、軍令部諜報課課員、97(明治30)年、アメリカに留学、アメリカ運送船『セグランサ』号に乗り組み米西戦争を視察、99(明治32)年、イギリス駐在、1900(明治33)年、帰国、軍務局第一課課員、海軍大学校教官を歴任。日露戦争では、連合艦隊兼第一艦隊参謀として、黄海海戦、日本海海戦などの作戦を担当した。14(大正3)年海軍省軍務局長となったが、17(大正6)年、病気のため中将で特命となり翌18(大正7)年死去