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版画作品集
出版社名:アニドウ・フィルム
出版年月:2019年9月
ISBN:978-4-938543-38-9
95P 30cm
奥山玲子銅版画集 Reiko Okuyama:The Last Phase Reached by the Legendary Animator‐Her Marvelous Copperplate Printed Pictures
奥山玲子/〔著〕 Takashi Namiki/〔責任編集〕
組合員価格 税込
2,970
円
(通常価格 税込 3,300円)
割引率 10%
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著者プロフィール
奥山 玲子(オクヤマ レイコ)
宮城県仙台市出身。宮城学院高等学校卒業、東北大学教育学部を経て1957(昭和32)年に上京。東映動画へ入社し、第1作のカラー長編アニメーション「白蛇伝」に動画スタッフとして参加、以降「わんぱく王子の大蛇退治」(63)などの長編作品の主要スタッフとして活動する。1963年、同僚のアニメーター小田部羊一と結婚、家庭と仕事を両立させながら「海底3万マイル」(70)では4人共同で作画監督を、さらに「アンデルセン童話 にんぎょ姫」(75)では長編作品において女性初となった作画監督を単独で務めた。1976年東映動画を退社後、日本アニメーションの「母をたずねて三千里」に作画監…(
続く
)
奥山 玲子(オクヤマ レイコ)
宮城県仙台市出身。宮城学院高等学校卒業、東北大学教育学部を経て1957(昭和32)年に上京。東映動画へ入社し、第1作のカラー長編アニメーション「白蛇伝」に動画スタッフとして参加、以降「わんぱく王子の大蛇退治」(63)などの長編作品の主要スタッフとして活動する。1963年、同僚のアニメーター小田部羊一と結婚、家庭と仕事を両立させながら「海底3万マイル」(70)では4人共同で作画監督を、さらに「アンデルセン童話 にんぎょ姫」(75)では長編作品において女性初となった作画監督を単独で務めた。1976年東映動画を退社後、日本アニメーションの「母をたずねて三千里」に作画監督補佐として携わる。1979年には小田部と共に東映動画スタジオに一時復帰し「龍の子太郎」を制作した。1985年からは東京デザイナー学院他で教鞭をとる傍ら、1988年からは黒田茂樹氏に学び、銅版画家としても活躍。アニメーションの分野でも1991年の「注文の多い料理店」で新境地に挑戦し、さらに「冬の日」の一編では銅版画家としてのスタイルを生かしてアニメーション作家として新たな一歩を刻んだ。2007年5月6日病没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
宮城県仙台市出身。宮城学院高等学校卒業、東北大学教育学部を経て1957(昭和32)年に上京。東映動画へ入社し、第1作のカラー長編アニメーション「白蛇伝」に動画スタッフとして参加、以降「わんぱく王子の大蛇退治」(63)などの長編作品の主要スタッフとして活動する。1963年、同僚のアニメーター小田部羊一と結婚、家庭と仕事を両立させながら「海底3万マイル」(70)では4人共同で作画監督を、さらに「アンデルセン童話 にんぎょ姫」(75)では長編作品において女性初となった作画監督を単独で務めた。1976年東映動画を退社後、日本アニメーションの「母をたずねて三千里」に作画監…(続く)
宮城県仙台市出身。宮城学院高等学校卒業、東北大学教育学部を経て1957(昭和32)年に上京。東映動画へ入社し、第1作のカラー長編アニメーション「白蛇伝」に動画スタッフとして参加、以降「わんぱく王子の大蛇退治」(63)などの長編作品の主要スタッフとして活動する。1963年、同僚のアニメーター小田部羊一と結婚、家庭と仕事を両立させながら「海底3万マイル」(70)では4人共同で作画監督を、さらに「アンデルセン童話 にんぎょ姫」(75)では長編作品において女性初となった作画監督を単独で務めた。1976年東映動画を退社後、日本アニメーションの「母をたずねて三千里」に作画監督補佐として携わる。1979年には小田部と共に東映動画スタジオに一時復帰し「龍の子太郎」を制作した。1985年からは東京デザイナー学院他で教鞭をとる傍ら、1988年からは黒田茂樹氏に学び、銅版画家としても活躍。アニメーションの分野でも1991年の「注文の多い料理店」で新境地に挑戦し、さらに「冬の日」の一編では銅版画家としてのスタイルを生かしてアニメーション作家として新たな一歩を刻んだ。2007年5月6日病没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)