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人物評伝
出版社名:春陽堂書店
出版年月:2023年11月
ISBN:978-4-394-98004-9
237P 19cm
笑顔と、生きることと、明日を 大林宣彦との六十年
大林恭子/著 石飛徳樹/聞き手
組合員価格 税込
1,782
円
(通常価格 税込 1,980円)
割引率 10%
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内容紹介・もくじなど
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」尾道三部作を始め、戦争三部作や遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」に込めた戦争反対への強い思い―。プロデューサーとして、妻として、ともに歩んだ最高のパートナーによる追想記。小津安二郎、黒澤明、角川春樹、大森一樹監督らの映画好き必見の逸話も満載。
もくじ情報:メラニーのように優しくありたい、スカーレットのように強くありたい―空襲の記憶、成城大学入学まで;売れない小説家の女房になるんだと思ってました(笑)。―成城大学時代から結婚まで;「コマーシャルは実験が出来るから」と言って、嬉々としてやっていました。―CM、自主映画製作の頃;「僕の映画は、100年先に…(
続く
)
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」尾道三部作を始め、戦争三部作や遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」に込めた戦争反対への強い思い―。プロデューサーとして、妻として、ともに歩んだ最高のパートナーによる追想記。小津安二郎、黒澤明、角川春樹、大森一樹監督らの映画好き必見の逸話も満載。
もくじ情報:メラニーのように優しくありたい、スカーレットのように強くありたい―空襲の記憶、成城大学入学まで;売れない小説家の女房になるんだと思ってました(笑)。―成城大学時代から結婚まで;「コマーシャルは実験が出来るから」と言って、嬉々としてやっていました。―CM、自主映画製作の頃;「僕の映画は、100年先に認められるんだ」と言っていました。―「HOUSE ハウス」から「金田一耕助の冒険」;「恭子さん、名前を出すのは責任を持つということなんだよ」―「転校生」の頃;ほんと、青春でしたね。寝ないで撮影しているのが楽しい、って時代だった。―「時をかける少女」から「廃市」;「東京物語」は、監督は大好きでした。小津さんの映画はみんな大好きですね。―「天国にいちばん近い島」から「姉妹坂」;眠る前に2時間は翌日の撮影の予習をしていました。だから現場で迷わないんです。―「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「青春デンデケデケデケ」;一つひとつ、気に入られなければ次の作品はないぞ、という気持ちでした。―「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」「異人たちとの夏」「北京的西瓜」;終わらないんじゃなくて、終わりたくないんじゃないかって。そう感じたんですよね。―「なごり雪」から戦争3部作、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」、そして旅だち;入江若葉+大林恭子 対談「恭子さんは恭子さんで監督を尊敬してらして、信頼関係がね、すごいです」;山田洋次+大林恭子 対談「今こそ、いろんな、いろんな話がもっとしたかった」
著者プロフィール
大林 恭子(オオバヤシ キョウコ)
1938年東京生まれ。映画プロデューサー。成城大学文芸学部英文学コース卒。58年、大学で大林宣彦と出会い、62年の間、公私ともに歩み映画作りを行う。76年、映画製作会社「PSC」設立。2003年、「なごり雪」の制作に対する功績と、半世紀にわたる映画活動に対して、第22回藤本賞特別賞受賞。「花筐/HANAGATAMI」公開の翌18年、第41回山路ふみ子映画功労賞、20年第75回毎日コンクール特別賞受賞
大林 恭子(オオバヤシ キョウコ)
1938年東京生まれ。映画プロデューサー。成城大学文芸学部英文学コース卒。58年、大学で大林宣彦と出会い、62年の間、公私ともに歩み映画作りを行う。76年、映画製作会社「PSC」設立。2003年、「なごり雪」の制作に対する功績と、半世紀にわたる映画活動に対して、第22回藤本賞特別賞受賞。「花筐/HANAGATAMI」公開の翌18年、第41回山路ふみ子映画功労賞、20年第75回毎日コンクール特別賞受賞
もくじ情報:メラニーのように優しくありたい、スカーレットのように強くありたい―空襲の記憶、成城大学入学まで;売れない小説家の女房になるんだと思ってました(笑)。―成城大学時代から結婚まで;「コマーシャルは実験が出来るから」と言って、嬉々としてやっていました。―CM、自主映画製作の頃;「僕の映画は、100年先に…(続く)
もくじ情報:メラニーのように優しくありたい、スカーレットのように強くありたい―空襲の記憶、成城大学入学まで;売れない小説家の女房になるんだと思ってました(笑)。―成城大学時代から結婚まで;「コマーシャルは実験が出来るから」と言って、嬉々としてやっていました。―CM、自主映画製作の頃;「僕の映画は、100年先に認められるんだ」と言っていました。―「HOUSE ハウス」から「金田一耕助の冒険」;「恭子さん、名前を出すのは責任を持つということなんだよ」―「転校生」の頃;ほんと、青春でしたね。寝ないで撮影しているのが楽しい、って時代だった。―「時をかける少女」から「廃市」;「東京物語」は、監督は大好きでした。小津さんの映画はみんな大好きですね。―「天国にいちばん近い島」から「姉妹坂」;眠る前に2時間は翌日の撮影の予習をしていました。だから現場で迷わないんです。―「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「青春デンデケデケデケ」;一つひとつ、気に入られなければ次の作品はないぞ、という気持ちでした。―「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」「異人たちとの夏」「北京的西瓜」;終わらないんじゃなくて、終わりたくないんじゃないかって。そう感じたんですよね。―「なごり雪」から戦争3部作、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」、そして旅だち;入江若葉+大林恭子 対談「恭子さんは恭子さんで監督を尊敬してらして、信頼関係がね、すごいです」;山田洋次+大林恭子 対談「今こそ、いろんな、いろんな話がもっとしたかった」