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文芸評論(日本)
出版社名:田畑書店
出版年月:2024年4月
ISBN:978-4-8038-0431-7
386,66,6P 20cm
「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み ナラトロジー、ノン・コミュニケーション理論、日本の物語理論
平中悠一/著
組合員価格 税込
4,950
円
(通常価格 税込 5,500円)
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内容紹介・もくじなど
文学は情報ではない―。谷崎最大の長編「細雪」。しかしその評価は未だ定まってはいない。本書は従来のナラトロジーを更新するノン・コミュニケーション理論を導入することで、日本語による三人称小説の“客観的に論証可能な「語り」読解”の方法論を提示し、プルースト、V・ウルフらに比肩する同時代の世界文学としてその価値を標定する。
もくじ情報:第1部 視野、視点 そこで“察し”ているのは誰か?(プルーストの逸脱、『細雪』の制約;『細雪』ナラションにおける“制約”の諸様相;『細雪』ナラションの「視点」;人物視点を超えて;第1部の終わりに―『細雪』の詩学へ);第2部 ノン・コミュニケーションとしての小説 そこでは…(
続く
)
文学は情報ではない―。谷崎最大の長編「細雪」。しかしその評価は未だ定まってはいない。本書は従来のナラトロジーを更新するノン・コミュニケーション理論を導入することで、日本語による三人称小説の“客観的に論証可能な「語り」読解”の方法論を提示し、プルースト、V・ウルフらに比肩する同時代の世界文学としてその価値を標定する。
もくじ情報:第1部 視野、視点 そこで“察し”ているのは誰か?(プルーストの逸脱、『細雪』の制約;『細雪』ナラションにおける“制約”の諸様相;『細雪』ナラションの「視点」;人物視点を超えて;第1部の終わりに―『細雪』の詩学へ);第2部 ノン・コミュニケーションとしての小説 そこでは誰も語っていない―「視点」不在の“客観文”から“主観”不在の「視点」へ(ディスクール、ナラティヴ、物語;どうして「そこでは誰も語っていない」のか?;日本語におけるレシ文(中立文)の可能性と、日本語小説文の未来);第3部 『細雪』詩学 にぎやかな静寂 “声”の饗宴と、沈黙のこちら側―ディスクールとコミュニケーションの不在(記述者再登場(潜在するナラター);“いま”“ここ”で“私”たちが語りだす~コミュニケーション性の二方向;誰も見ていない彼女たち2);結論 文学のために
著者プロフィール
平中 悠一(ヒラナカ ユウイチ)
パリ第7大学修士課程修了、同大学博士課程単位取得退学。東京大学大学院博士課程修了(総合文化研究科言語情報科学専攻)。学術論文、学術翻訳の他に、フランス文学の翻訳、創作などの既刊がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
平中 悠一(ヒラナカ ユウイチ)
パリ第7大学修士課程修了、同大学博士課程単位取得退学。東京大学大学院博士課程修了(総合文化研究科言語情報科学専攻)。学術論文、学術翻訳の他に、フランス文学の翻訳、創作などの既刊がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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もくじ情報:第1部 視野、視点 そこで“察し”ているのは誰か?(プルーストの逸脱、『細雪』の制約;『細雪』ナラションにおける“制約”の諸様相;『細雪』ナラションの「視点」;人物視点を超えて;第1部の終わりに―『細雪』の詩学へ);第2部 ノン・コミュニケーションとしての小説 そこでは誰も語っていない―「視点」不在の“客観文”から“主観”不在の「視点」へ(ディスクール、ナラティヴ、物語;どうして「そこでは誰も語っていない」のか?;日本語におけるレシ文(中立文)の可能性と、日本語小説文の未来);第3部 『細雪』詩学 にぎやかな静寂 “声”の饗宴と、沈黙のこちら側―ディスクールとコミュニケーションの不在(記述者再登場(潜在するナラター);“いま”“ここ”で“私”たちが語りだす~コミュニケーション性の二方向;誰も見ていない彼女たち2);結論 文学のために