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出版社名:小学館
出版年月:2025年7月
ISBN:978-4-09-407476-5
189P 15cm
空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの8日間/小学館文庫 お46-1
奥田貞子/著
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内容紹介・もくじなど
内容紹介:原爆投下直後の広島、その克明な記録が甦る  瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた著者の奥田貞子さんは、その翌日、広島に入り、8日間にわたって兄の子どもたちを探して市内を駆け巡ります。その間、市内で会った多くの子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残しました。戦争の悲惨にどう自分が居合わせたか、そして何も出来なかったか。戦後80年が経ったいま、その真実を忘れるな、という著者の悲痛な叫びが甦ります。  【編集担当からのおすすめ情報】  1960年から晩年まで山形県小国町の「基督教独立学園高等学校」で教諭をされていた奥田貞子さんは、1914年広島県…(続く
内容紹介:原爆投下直後の広島、その克明な記録が甦る  瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた著者の奥田貞子さんは、その翌日、広島に入り、8日間にわたって兄の子どもたちを探して市内を駆け巡ります。その間、市内で会った多くの子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残しました。戦争の悲惨にどう自分が居合わせたか、そして何も出来なかったか。戦後80年が経ったいま、その真実を忘れるな、という著者の悲痛な叫びが甦ります。  【編集担当からのおすすめ情報】  1960年から晩年まで山形県小国町の「基督教独立学園高等学校」で教諭をされていた奥田貞子さんは、1914年広島県豊田郡大長村(現・呉市豊町大長)生まれ。原爆投下直後の広島市内で8日間にわたり、甥、姪を探し回りました。本書はその8日間を記した当時の日記をもとに1979年4月に自費出版された『ほのぐらい灯心を消すことなく』の第4版を底本に復刻したもの(2011年刊行の単行本を文庫化)。巻末に、重松清氏による寄稿「ささやかでなければ、伝えられないこと」を付記。
瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた著者の奥田貞子さんは、その翌日、広島に入り、8日間にわたって兄の子どもたちを探して市内を駆け巡ります。その間、市内で会った多くの子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残しました。戦争の悲惨さにどう自分が居合わせたか、そして何も出来なかったか。戦後80年が経ったいま、その真実を忘れるな、という著者の悲痛な叫びが甦ります。
もくじ情報:待っていた兄と妹;優しい正子ちゃん;とんちゃんとお母さん;お母さんとネンネした坊や;お母さんのメガネ;二人の中学生;小さな命はあっけなく消えた;橋のたもとの寝顔;―戦争さえなかったら;「ゆりちゃんも連れてって」;真っ赤な口の中;学校へ行こうとした少年;―雄一はどこへ行った;島に帰ってからの話 一つだけ泊まったら帰ってくると言ったのに;戦争中の話 チカちゃんという三歳の子どもと私との、戦争中の生活の一部を聞いてください
著者プロフィール
奥田 貞子(オクダ テイコ)
1914~2011年。広島県豊田郡大長村(現・呉市豊町大長)生まれ。1960年から晩年は、山形県小国町の「基督教独立学園高等学校」教諭。原爆投下直後の広島市内で八日間にわたり、甥、姪を探し回った。その八日間を記した当時の日記を、1979年4月に『ほのぐらい灯心を消すことなく』として自費出版。版を重ねた。享年九六(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
奥田 貞子(オクダ テイコ)
1914~2011年。広島県豊田郡大長村(現・呉市豊町大長)生まれ。1960年から晩年は、山形県小国町の「基督教独立学園高等学校」教諭。原爆投下直後の広島市内で八日間にわたり、甥、姪を探し回った。その八日間を記した当時の日記を、1979年4月に『ほのぐらい灯心を消すことなく』として自費出版。版を重ねた。享年九六(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)